『逃亡者』90年代アクション映画がアカデミー賞にノミネートされた理由とは ※注!ネタバレ含みます

※本記事は物語の核心に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。

『逃亡者』あらすじ

シカゴの高名な外科医リチャード・キンブル。彼は、ある夜帰宅すると、家から逃げ出す「義手の男」を目撃、邸内では妻が倒れていた。間もなく彼女は息を引き取り、キンブルは殺人の容疑者として逮捕されてしまう。死刑判決を受け、刑務所へと移送されるキンブル。しかし、その道中で護送車が列車と衝突し、九死に一生を得たキンブルは逃亡しながら「義手の男」を探し求めていく。一方、連邦保安官サミュエル・ジェラードの執拗なまでの追跡が、キンブルを追い詰めていく。

人気ドラマをリメイクした90年代アクション


第66回アカデミー賞において、歴史的に不利と言われてきたジャンルのアクション映画ながら、作品賞など7部門にノミネートされ、トミー・リー・ジョーンズに助演男優賞をもたらした、異例の一作となった『逃亡者』(93)。大規模なアクション映画が流行していた1990年代に、いったいなぜ、『逃亡者』は例外的に芸術的な評価を獲得することとなったのか。

インターネット上でも、なぜ本作『逃亡者』だけが、当時の多くのアクション映画を差し置いて、アカデミー賞作品賞にノミネートされるような評価を受けたのかという疑問の声が散見される。ここでは、そんな本作の内容を振り返り、当時の製作事情を紹介していくことで、この当然の疑問に答えを提供したい。

本作『逃亡者』の基となったのは、1960年代の人気TVドラマだ。妻殺害の容疑で有罪となった医師が護送中に逃亡し、さまざまな場所に滞在して人々にかかわりながら、真実に迫っていくという内容。最終話では視聴率50パーセントを超える驚異的な記録を残している。さらにこのドラマは、クリーブランドの実在の医師が殺人の嫌疑をかけられた実話を基にしているのだという。

『逃亡者』予告

映画版の物語自体はサスペンス調ではあるが、原作ドラマの列車事故シーンを派手にしたり、ダムからの象徴的な高所飛び降りシーンを作るなど、1990年代らしいエクストリームなアクションが展開する本作。そのドラマからのスタイルの変化は、のちに『リディック』三部作を監督するデヴィッド・トゥーヒーや、『ダイ・ハード』(88)の脚本家ジェブ・スチュアートが脚本を手がけていることからも分かる。監督を務めたのも、スティーヴン・セガール主演のアクション『沈黙の戦艦』(92)を手がけていたアンドリュー・デイヴィスである。

面白いのは、本作のオープニングで見られる、それこそ『ダイ・ハード』シリーズか『ターミネーター』シリーズの一作かと思うほどの派手なタイトル演出だ。公開から30年後のいま観ると、その大げささに笑ってしまうところがあるくらいで、よくこれがアカデミー賞作品賞にノミネートされたものだと、あらためて驚かされる。これを見ても、本作が基本的に娯楽アクションを想定した作品であることが理解できる。

現代アメリカ版「レ・ミゼラブル」


ただ、アクションが中心になっているとはいえ、極限的な状況下で真犯人を捜し出そうとするキンブル医師(ハリソン・フォード)と、彼を何としても捕まえようとするジェラード捜査官(トミー・リー・ジョーンズ)の対決や、それぞれの信念に基づいた必死さを表現した演技には、目を見張るものがある。とくにハリソン・フォードの鋭く燃えるような眼光は、『刑事ジョン・ブック 目撃者』(85)や『推定無罪』(90)などのサスペンス作品において、映画のシリアスな雰囲気を引き上げる効果があったと感じられるように、ここでも作中のサスペンスの要素を、演技によってより濃密なものにしているところがある。

さらに、キンブル医師の行動にたびたび共感しながらも冷徹に職務を遂行しようと葛藤するトミー・リー・ジョーンズの抑えた演技が、作品のリアリティを高め、全体に説得力を与えているのである。このような、役者を輝かせるようなポテンシャルが、じつは本作に存在していたという点が、本作『逃亡者』の意外な成功に繋がった注目すべき特徴だと考えられる。

脚本のデヴィッド・トゥーヒーは、本作の脚本を書いている段階で、この物語にある古典作品との共通点があることを意識していたのだという。それが、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーが1862年に発表した「レ・ミゼラブル」だった。トゥーヒーは、本作で印象的なダムに飛び込むシーンに至る排水溝での追跡劇は、「レ・ミゼラブル」に登場するパリの下水道をイメージしているとも語っている。

『逃亡者』(c)Photofest / Getty Images

無実の罪を背負ったジャン・バルジャンが脱獄し逃亡、ジャヴェール警部が執拗に彼を追跡するという大筋の流れや、世間に裏切られ追いつめられた状況でも善き行いをしようと信念を守る描写は、まさに現代アメリカ版の「レ・ミゼラブル」といえる内容だ。つまりハリソン・フォードとトミー・リー・ジョーンズは、ある意味で間接的にジャン・バルジャンを演じ、ジャヴェール警部を演じていたことになる。

キンブル医師は指名手配犯として逃亡中という、極めて困難な状況のなかで、逮捕されるリスクをおかしてまで患者を治療して、その命を助けようとする。このようなキンブルの善行を知ったジェラード捜査官は、キンブルが無実なのではないかと思い始める。「レ・ミゼラブル」において、法の番人として生きてきたジャヴェール警部が、ジャン・バルジャンの人間性に触れることで、今まで信じてきた善悪の基準を狂わされて苦悩するように、ジェラードもまた葛藤にさいなまれながらキンブルを追っていくことになる。そして、強い信念を持つ二人が最終的に手を結ぶことになる本作の展開は、文豪ユーゴーが顕彰したかった犠牲的な精神の勝利を描いているといえるだろう。

未完の脚本を乗り越えた現場の判断


このように、本作『逃亡者』が、アクション中心の作品でありながら、芸術性を評価されたというのは、この作中の文学的な可能性を俳優たちが見事にかたちにし、深い人間ドラマや、現実につながるようなテーマに接続することに成功したという部分が大きかったのである。

だが、この素晴らしい脚本は、じつは執筆作業が難航し、撮影が始まってからも完成せず何度も書き直されていたという事実もある。大きな予算がかかった作品としては、信じ難い危機的状況といっていいだろう。そこで役に立ったのは、俳優陣と監督の現場での即興的な判断だった。

『逃亡者』(c)Photofest / Getty Images

とくにアンドリュー・デイヴィス監督は、のちに撮ることになる『チェーン・リアクション』(96)で、現場で新たなアイデアを発揮し、その場その場でプランを変えていくスタイルを持っていることを、主演のキアヌ・リーブスが証言している。この手法、あるいは本作で鍛えられた結果なのかもしれないが、いずれにせよ、こういった努力がギリギリのところで作品を救うことになったのは確かだろう。

作り手たちの予想を超えて、文学性までをもとり込みながら、大きな評価を得ることになった本作『逃亡者』。だが、じつはこういった薄氷の上を歩くような経緯を辿った映画でもある。このように、名作と称される作品が混乱のなかでできあがっていく場合があるというのが、映画製作の面白いところであり、ある種の醍醐味でもあるともいえるのだ。

文:小野寺系

映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。

Twitter:@kmovie

今すぐ観る

作品情報を見る

(c)Photofest / Getty Images

© 太陽企画株式会社