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7月7日の七夕で甲府空襲から79年目を迎えます。
その傷跡を今に伝える場所が、甲府市の小学校の一角にあります。
甲府市湯田にある湯田小学校。
校庭の片隅に、かつての校門がたたずんでいます。
湯田小に通っていた浅利勝往さん(88)
「すばらしい校舎だった。生徒がいっぱいいたから、ここは。ポプラ並木も有名だね。湯田小学校にはポプラがたくさんあった」
1945年7月6日深夜から7日にかけて、甲府の街を襲った甲府空襲。
最も被害が大きかった湯田地区では427人が犠牲となりました。
湯田小に通っていた浅利勝往さん(88)
「寝てたら『起きろ』と言われて、その時には周りが焼けていて、濁川の縁を入っていったらもう前に進めないから、苦しくてみんな水の中に飛び込んだ」
湯田地区で唯一焼け残ったとされる旧校門。
ところどころ黒ずんだ門は、甲府空襲の悲しい歴史を今に伝えています。
湯田小に通っていた浅利勝往さん(88)
「(この門は)壊されていたかもしれない。なんでこれがここにあるのか意義を知って(平和を)かみしめて、やっぱり戦ってはいけない。言論で戦うのはいい。全部、言葉で心を許して分かりあえる。(その心を)日本人は持てると思う」