【終戦から79年】「本土決戦」にらみ掘削の地下壕跡 終戦間際に相次いで着工「本当にこんなところで掘っていたのか」

太平洋戦争末期に本土決戦をにらんで長野市内で掘られた地下壕の跡を訪ねる市民講座が4日に開かれました。

長野市を含む善光寺平一帯では、太平洋戦争末期にいわゆる「本土決戦」を視野に準備が進められ、政府の中枢機関を移す予定で掘られた大規模な地下壕が「松代大本営」の名で知られています。

長野市安茂里に残る「大本営海軍部壕」も本土決戦のための準備として掘られたもので山の斜面に100メートルほど掘ったところで終戦を迎えました。

壕は近年、地元の住民などで作る「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の調査で徐々に実態が明らかにされ注目されるようになりました。

安茂里地区では他にも複数の壕が掘られていて、4日に安茂里公民館が主催した市民講座で10人余りがその跡を訪ねました。

このうち、観音沢では3本の壕が着工されましたがいずれも未完成に終わり、入口は土砂で埋まり、草に覆われています。

説明する地元の住民:
「斜面の上から土がどんどん流れ込んできて埋まっている。元の壕はもっと深かったと思う」

市民講座の参加者:
「本当にこんな所に日本の中枢部隊が来て穴を掘ったのかと。びっくりですね」
「教えていただかないと壕の跡と言うこともわかりませんでした」

「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の調査で、当時、周辺には海軍や陸軍の複数の部隊が駐留し掘削作業にあたっていたことがわかっています。

8月で終戦から79年を迎えます。

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