伝説の政見放送・外山恒一さん、都知事選どうみる? 不出馬ながら自身のポスターを掲示したワケ

外山恒一さんのポスターを見つけた(2024年6月30日/弁護士ドットコム撮影)

7月7日の七夕投開票の東京都知事選では、過去最多とされる候補者56人が乱立し、政策よりも、ポスター掲示板ジャックや政見放送が目立つ事態になっている。

そうした中、都内の掲示板に気になるポスターが貼られているのを見つけた。坊主頭の男性の写真と「選挙に出るような非常識な人に政治が任せられるでしょうか?」という皮肉が効いたメッセージが添えられている。

写真の男性は外山恒一さん。2007年の都知事選に出馬し、政見放送で「こんなくだらない国はもはや滅ぼす以外にない。改革なんていくらやったって無駄だ!」と言ってのけた。

伝説の政見放送の人物として知られる外山さんにメールを送ったところ、1日置いて「ポスターはもちろん私(とその協力者たち)が貼っています」という回答とともに長文が寄せられた。

はたして、どんな意図でポスターを掲示しているのだろうか。そして今回の都知事選をどのように捉えているのだろうか。以下、外山さんから送られてきた文書を抜粋して紹介する(小見出しは編集部作成)。

●選挙に出ることは、供託金を払って「言論の自由」を買うことである

N国党(NHKから国民を守る党)の手法にインスパイアされ、しかしN国党には一切かかわりたくなく、たまたま私の熱烈な支持者でもあるアキノリ将軍未満氏が今回の都知事選に正規に立候補しており、政見放送と街頭演説を主軸とした選挙戦を展開予定で、ポスターはほとんど貼る予定はないとのことだったので、協力をあおいで実現にこぎつけたものです。

なおアキノリ氏の協力は私の支持者としての純粋な志にもとづく行為で、N国党のように金銭でポスター枠を私に〝売った〟わけではありません。

私がこのような行動に出たのは、もともと、今後もう選挙に出るつもりはないが、区域内にポスターを大量に貼れる特権には抗しがたい魅力を感じてはいて、上記のような好都合な状況がととのっていたので、絶好のチャンスだと飛びついたということです。

とくに1995年のオウム事件以降、オウムのみならずさまざまな政治運動・社会運動の世界で〝たかがビラまき〟で逮捕されるケースが激増していることはご存じでしょう。路上などでの無断ビラまきは、たしかに道交法違反ではあるでしょうが、政治的な活動の担い手を〝たかがビラまき〟で逮捕するなど、他の先進国では考えられないはずです。

昭和の日本の街頭は、さまざまな政治勢力の無断ビラまきや無断街頭演説、さらには無断ビラ貼りであふれていたものですが、日本にはもはやその程度の言論の自由もありません。が、選挙制度こそは民主主義の根幹ですから、こんなポンコツ日本でも、選挙運動に関してのみ、引き続き言論の自由は建前上それなりに保障されています。

つまり選挙に出ることは、いわば供託金を払って言論の自由を買うことなんですが、一方で日本の供託金は高すぎるというか、これまたおそらくご存じのとおり、供託金などという、財産の多寡によって参政権を制限するような反民主的な制度を採用している先進国も他にありません(似たようなものはあっても少額です)。カネのない人間が言論の自由を一時的にでも手に入れるには、要するに〝選挙制度をジャックする〟以外にないんです。

●バカには参政権を認めないというのは、民主主義の原則に反する

N国党や、私の百周遅れぐらいの売名立候補者たちには真面目な政治的信念がないので、私も大いに呆れてはいますが、同時に、彼らの活動を規制するようなことはあってはならないとも思います。要するに彼らはバカなんですけど、バカには参政権を認めないというのは、民主主義の原則に反するでしょう。

私は民主主義を否定するファシストなので、彼らのような愚か者には参政権のない社会を作ろうと志していますが、民主主義を肯定するなら、彼らのような民主主義フリーライダーのゴミカスどもが湧いて出ることも〝民主主義のコスト〟として受忍しなければいけません。

●〝選挙制度のジャック〟は数少ない突破口の一つ

私はあくまでも政治的信念に基づいて活動している政治活動家であって、とりあえずエンタテインメント性を付加して間口を広げる努力をしつつ、主目的は当然、私の活動の同志や支持者を獲得することです。

ネット上での活動は、もともと私に関心を持っている人たちの外へはなかなか届きにくく(ネット社会化が多様性を担保するのではなく、互いに話の通じない〝タコつぼ〟が大量に併存する分断社会の形成につながった、とよく云われているとおりです)、私は、常にリアル社会に私の政治的主張を持ち出して、目的をかなえようとしています。

しかし前記のとおり日本にはもはや通常の先進国レベルの言論の自由はなく、ビラまきもビラ貼りも常に弾圧の危険をともないます。〝選挙制度のジャック〟は、この厳しい状況の数少ない突破口の一つです。

今回は急遽の思いつきなので事前に準備ができず、過去のスローガンや文章からの引用の寄せ集めでポスターを作成し、私がこの手法で本当にやりたいことはほとんど充分に展開しえていません。したがってあくまでも試行版のようなもので、そのぶん面白がらせ、エンタメ路線に寄ってしまっているところはあります。

まあ今回、この方式は〝やれる!〟という確信を持てたので、今後、今回のアキノリ氏と同じように私にポスター枠を提供してくれる、大型選挙への高邁な泡沫立候補者を日常的に募集し、この手法で私が本当にやりたかったことをいずれ形にしようと考えています。

●「立候補同意署名」制度の導入こそが現実的だ

今回とくに極端な、完全にオフザケでしかも面白くもない無価値立候補を今後は制限していきたいなら、ただでさえ異様な供託金制度をさらに強化することによってではなく、諸外国に多く見られるような、「立候補同意署名」制度の導入こそが現実的だと思います。

私のようにちゃんと政治的・思想的背景のある活動家なら、そういうのは専門であって、立候補するのに必要な署名は2007年時点でも集められた自信がありますが、マック赤坂や立花孝志やその他の大多数は、もともとちゃんとした活動家的な背景・実績がないので、すでに売名に成功した現在はもう手遅れだとしても、その売名の契機となった最初の立候補が、「立候補同意署名」制度があれば阻止されていたはずです。

今回多数湧いて出たようなボンクラどもにそんな署名を集めるのは無理だし、マックや立花の同類が今後新たに登場することは防げるでしょう。供託金制度は、志はあっても財力のない真面目な活動家たちの登場を困難にし、志はないけど財力はある奇人変人どもの跳梁を結果しているだけですし、さらに増額しても奴らは平気でそのラインを越えてきます。

とにかく、選挙制度の問題について感情論でワーワー云うのは愚かなことです。

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