『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』人生の終わりを見据える喪のパレード

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』あらすじ

アメリカ北西部のモンタナ州に暮らす老人ウディ・グラント。ある日、100万ドルの賞金が当たったという、誰が見てもインチキな手紙を受け取る。ところがウディはそれをすっかり信じ込み、はるか遠くのネブラスカまで歩いて賞金を受け取りに行こうとする始末。息子のデイビッドは、そんな父親を見兼ねて骨折り損だと分かりながらも、彼を車に乗せて4州にわたる旅へ出る。途中に立ち寄ったウディの故郷で賞金をめぐる騒動に巻きこまれる中、デイビッドは想像すらしなかった両親の過去と出会うのだが……。

楽園以後、静止画以後の物語


アレクサンダー・ペイン監督の映画には、色褪せた家族写真が度々登場する。家の壁に貼られたセピア色の写真は、家族の歴史や建築物そのものの記憶として表現される。かつてあった“楽園”の記憶。ハワイを舞台にした『ファミリー・ツリー』(11)では、先祖代々受け継いできた土地の売却によって失われようとしている美しい“楽園”の景色と、間もなく生命維持装置が外されようとしている妻(そして何より子供たちの母親)の思い出がクロスしていた。父親は娘たちに言う。この景色を忘れるなと。それは喪を準備する、長い見送りのような時間だった。

アレクサンダー・ペインの映画は、“楽園”以後の世界から始まる。シャッターの閉まった町。老朽化した建築物。『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(13)のモノクロームで切り取られた静止画のような風景は、美しいと同時に、既にすべての祭りが終わったかのような寂寥感に溢れている。アメリカン・ドリームを諦めたかのような色褪せた田舎の風景の中を、足取りのおぼつかない老人ウディ(ブルース・ダーン)が歩く。アルコール中毒の徘徊老人は警察に保護される。

ウディの元に届いた100万ドル当選の通知。息子のデヴィッド(ウィル・フォーテ)は典型的な詐欺だと分かっていながら、父親と共にモンタナ州ビリングスからネブラスカ州リンカーンへの旅に出る。賞金を受け取るために。当初デヴィッドは、この手紙が単なる詐欺広告であることを分からせるために、父親を連れ出したのだろう。この無益なロード・トリップによって、デヴィッドは父親がどのような人生を送ってきたのかを知っていく。父親の人生における“サブテキスト”は、家の壁に飾られた色褪せた写真のように、点と点の記憶として、パズルのようにつながっていく。寡黙なウディは自分のことを語ろうとしない。デヴィッドは父親の“サブテキスト”を、ネブラスカの静止画のような風景や、そこに生きる人々の関係性の中から知っていくことになる。

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(c)Photofest / Getty Images

アレクサンダー・ペインと脚本を手掛けたボブ・ネルソンによる作劇が刺激的なのは、ノスタルジックで感傷的になる情報と共に、知りたくもなかった情報をたくさん紛れ込ませているところだ。『ファミリー・ツリー』の夫が、留守の間に起きた妻の浮気を知ってしまったように。『ネブラスカ』においては、要らない情報を次々と暴露していく母ケイト(ジューン・スキッブ)の存在がコミカルで素晴らしい。

写真のように止まってしまったような時間の中に、大きな物語が秘められている。二人の旅はどこにも辿りつけないだろう。しかしこの作品がロード・ムービーであることには意味がある。『ネブラスカ』という映画は、動き続けること、止まることによって生まれる想像力をどこまでも信じている。

モノクローム、枯淡のブルース・ダーン


「いまこの映画を観ると、何もしゃべらないところが好きです。映画における沈黙が好きなのです」(アレクサンダー・ペイン)*

映画監督である前に映画ファンであることを強調するアレクサンダー・ペインにとって、モノクロ映画を作ることは念願の企画だったという。当初パラマウント・スタジオはモノクロで制作することに反対している。アレクサンダー・ペインという映画作家のコアには、ハル・アシュビー監督をはじめとする70年代のアメリカ映画と同時に、プレストン・スタージェス監督をはじめとするスクリューボール・コメディへの憧れがある。

『ネブラスカ』において、デヴィッドとロス(ボブ・オデンカーク)の兄弟がコンプレッサーを奪い返すシーンのコミカルな演出はたまらなく楽しい。全力ダッシュで車を追いかける兄弟の並びがフレームに入ってくるとき、完璧な喜劇の構図が生まれる。このシーンは『サイドウェイ』(04)における結婚指輪奪還シーンのドタバタ喜劇を想起させる。『ネブラスカ』でブルース・ダーンが演じるウディという名前は、プレストン・スタージェスの『凱旋の英雄』(44)の主人公ウッドローからとったという説もある。英雄に仕立てあげられた男の喜劇という点で、100万ドルの宝くじに当選したとされるウディと重なるものがある。

撮影監督のフェドン・パパマイケルは、モノクロ映像の方が「よく見える」ことがあると強調している。とても豊かな発言だ。たしかに車に乗っているときの風になびくウディ=ブルース・ダーンの白髭は、モノクロの画面だからこそ「よく見える」。モノクロだからこそ、その沈黙の中にウディ=ブルース・ダーンの“彫刻性”が浮かび上がるというべきか。枯淡の境地にいるブルース・ダーン。もはやこの役をブルース・ダーン以外の俳優が演じることは考えられないレベルにある。また、モノクロ映画ということに関して、フェドン・パパマイケルはヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』(73)のルックに影響を受けているという。

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(c)Photofest / Getty Images

アレクサンダー・ペインとブルース・ダーンの関係性は深い。長編デビュー作『Citizen Ruth』(96)で主演を務めたのは娘のローラ・ダーンだ。デビュー作以後、ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』(98)とも比較された鮮烈な学園コメディ『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(99)、ジャック・ニコルソン主演の大傑作『アバウト・シュミット』(02)に続き、アレクサンダー・ペインが故郷で映画を撮るのは『ネブラスカ』で4度目になる。本作を撮るにあたり、アレクサンダー・ペインはブルース・ダーンを助手席に乗せ、地元を案内している。車の中という親密な距離感が二人の仲間意識、相互理解を生んだという。劇中のウディとデヴィッドの関係のように。

ブルース・ダーンはウディの独特の歩き方を表現するため、靴の中に小石を詰めていたという。また、ウディという役を演じるにあたり、子供の頃に感じていた家族内での疎外感を引き寄せ、自身の人生を重ねていく。ウディは朝鮮戦争の帰還兵だ。戦争体験は確実に、ウディの身体に、そしてこの作品のアメリカの風景自体にも“パンチドランク”のような深い影を落としている。アレクサンダー・ペインのすべての映画は、何らかの要因で人生の機会を失ってしまった人たちに深い愛を注いでいる。

尊厳の喪失と奪還


「人々に何かを言う機会があったとき、そうしなかった。それは私の責任だ」(ブルース・ダーン)*2

ある人にとっては善人だが、ある人にとっては悪人だ。アレクサンダー・ペインは一人の人間が他人からどのように見えるかというテーマ、その複眼性にこだわっている。たとえば『アバウト・シュミット』のウォーレン(ジャック・ニコルソン)にとって、娘の婚約者はどうしようもない男だが、娘や彼の家族にとっては大切な存在だ。『ネブラスカ』のアルコール中毒で徘徊老人のウディは、あきらかに他人から見くびられている。しかし賞金を手にするとされるウディは、旧友たちからまるで英雄のように歓迎される。少なくとも表面上は。落ちぶれていたウディには過去の金銭問題を問わなかった住人たちが、大金を手にすると知った瞬間に、急に昔の話を持ち出すようになる。旧友のエド(ステイシー・キーチ)に至っては、「(ウディだけが幸せになるのは)不公平だ」と言い出すような始末だ。

デヴィッドは父親のことを愛しているが、同時に見くびってもいたのだろう。しかしアメリカン・ドリームへの幻想、永遠に遅れている自己実現に対する心の焦りや危機感は、ウディとデヴィッドに共通するものだ。果たして自分の人生は有意義なものだったのだろうか。人生の終わりを見据えるいま、自分には何もなかったのではないだろうか。『ネブラスカ』の静止画のような風景、TVで放映されるアメリカンフットボールを皆で黙って見る止まったような時間は、この疲れた町の人々が抱える虚無が、フレームの中へと吸収されていくような錯覚を覚える。

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(c)Photofest / Getty Images

もしアレクサンダー・ペインの映画に教訓的なものがあるとするならば、いかなる人も見くびってはならないということだろう。アレクサンダー・ペインの映画は、他人から見くびられた人、見くびられていると感じている人に愛を注いでいる。それは何らかの理由で機会を逃し続けながら大人になってしまった人たちに愛情を注ぐ、『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(23)にも確実につながっている。

100万ドルの夢が叶わないことを知ったウディは、これまで以上に生きる気力を失っているようだ。デヴィッドは父親と過ごす残された時間がないことを知っている。人生において機会を逃し続けてきたウディ。すべてが手遅れになる前に、デヴィッドは最後の親孝行のアイデアを決行する。本物か偽物かなんてどうだっていい。そんなものは紙一重にすぎないとばかりに。カウボーイのようにネブラスカの通りを凱旋するウディ。『ネブラスカ』という珠玉の作品は、世間から見くびられていた人、あるいは自分で自分を見くびってしまった人たちの尊厳を取り戻そうとしている。

*1 [Alexander Payne: Interviews] Julie Levinson

*2 [Alexander Payne: His Journey in Film] Leo Adam Biga

文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。

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