“放送界の紳士” 民放出身の初フリーアナ・押阪忍さん 老衰のため89歳で死去 後日お別れの会

民放出身初のフリーアナウンサー・押阪忍さんが亡くなりました。

人柄から“放送界の紳士”と呼ばれた押阪忍さん。
6月29日、老衰のため89歳で亡くなりました。

押阪さんは、1958年に現在のテレビ朝日のアナウンス部に入社。
1964年の東京オリンピックでは、“東洋の魔女”と呼ばれた女子バレーボールの実況を担当し、その翌年、民放初のフリーアナウンサーとなりました。

押阪さんは、学生時代相撲部屋で2年間居候したこともあったという。

押阪忍さん:
逆境に耐えるというか、相撲界の裏を見せていただいて。だから今の新弟子さんに“あなた方も勉強しなさいよ”、“きっといいことがあるぞ”とエールを送りたい。(「ライオンのごきげんよう」1996年9月27日放送)

後日、お別れの会を開く予定だということです。

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