人権否定の自民改憲草案 泰斗の言葉(下)

 憲法学者の樋口陽一さん(81)=東大名誉教授=は、改憲勢力が目指しているものを知るために自民党の憲法改正草案を読んでほしいと呼び掛ける。国民には知る権利があるが、知る義務もあり、有権者の投票判断はまず知ることから始まる、と。

 自民党が2012年に発表した憲法改正草案は、明治憲法への逆戻りだと批判する人がいますが、そうではありません。明治憲法は日本の近代化のために立憲政治を導入することが必要だという立場に立って作られました。改正草案はそれよりはるかにひどいものです。

 私が信頼する法史家は、江戸時代に高札を立てて「民よ、こういうことをしてはいけない」と示すようなものだと言っています。

 国民の側が権力を縛るのではなく、権力の側が国民のすべきではないことを示すようなものです。

 明治以前の法秩序に戻るようなもので、改憲草案は近代法からの逸脱であり、前近代への回帰、近代国家の否定になります。「普通の国」の原則を捨て去っています。この国の主はわれわれ国民なのですが、主という資格が奪われようとしています。「国防軍」にしても、「普通」の民主主義国の原則から離れるような憲法の中に位置付けられることこそが、何よりも問題なのです。■知ることから それだけではありません。競争至上主義を徹底して、「世界で一番企業が活動しやすい国」にするという安倍政権の目標と似た考えが改憲草案に盛り込まれています。

 経済活動の自由を定めた日本国憲法22条1項には、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と書かれています。ですが、改憲草案には憲法の条文にあった「公共の福祉に反しない限り」という言葉が消えています。経済活動の自由だけは、制限を加える言葉がないのです。

 それとは対照的に、表現の自由には、これまでなかった制限の根拠として「公益及び公の秩序」という語句が加えられており、それと比べて22条1項の突出ぶりは特別です。

 経済成長第一主義ともいえる新自由主義の考え方が背景にあるのでしょう。確かに、世界は新自由主義の方向に向かって動いてきました。ですが、その結果生じてくる社会の亀裂、伝統の破壊などに抵抗する動きが世界中で現れています。日本だけは憲法改正をしてまで、憲法の中にその思想を書き込もうとしています。

 改憲草案の前文には、新自由主義の競争・成長至上主義とは両立しないはずの郷土、家族など、古き良き日本を表す言葉が散りばめられています。経済活動によって分断される社会のゆがみを観念の世界で癒やそうとしています。

 安倍政権が目指す憲法改正は、みんなの理想を持ち寄り、新しい憲法を最初から議論しましょう、というものではありません。ぜひ改憲草案に目を通してください。憲法改正の議論の出発点としては、あいまいな議論ではなく、自民党改憲草案から出発するべきでしょう。現政権が目指す憲法改正について国民一人一人が賛成なのか、反対なのか、議論する座標をはっきりさせることが必要です。賛成、反対を言う前に、どのような論点で何が議論されているのか、多くの人に理解してほしいと思います。

 国民には知る権利がありますが、知る義務もあるのではないでしょうか。有権者の投票判断は、まず「知ること」から始まります。少しばかりの知る義務を果たすことをお互いに心掛けましょう。■個人が前提に 多くの人が日本国憲法を守るために努力してきたことを忘れてはなりません。ちょうど60年前の参議院議員選挙で、有権者が野党に議席の3分の1を与え、「占領が終わったから憲法改正だ」という流れに「待った」を言い渡しました。

 岸信介首相があらためて改憲のための世論づくりを目指し、1957年に内閣憲法調査会を発足させたとき、私の恩師の憲法学者を含めて多くの方々が憲法問題研究会を立ち上げ、世論の流れに大きな影響を与えました。

 その後、60年安保があり、池田勇人政権の登場によって、自民党が政治主義路線から経済路線に変わり、憲法を前提にした政権運営がおこなわれるようになりました。その間に選挙があり、有権者の投票が駄目を押しました。以来、歴代の自民党政権は憲法改正に慎重な立場をとってきました。

 中曽根康弘内閣に対し、米国から海外での機雷除去の協力要請があったとき、官房長官だった後藤田正晴さんが「憲法が認めていない。どんな巨大な堤防でもアリの一穴から崩れる」と進言したことは知られています。そのような御意見番がどこにもいなくなれば、国の行方が危なくなるのです。

 昨年の夏、集団的自衛権の行使容認に対する反対運動が全国に広がりました。それは長い目でみれば、日本の社会に大きな変化を促すものになると思います。日本国憲法がデザインした、個人が前提にある上での連帯が生まれています。

 かつて、大学紛争のなかでは、「連帯を求めて孤立を恐れず」と語られました。その信条は理解しますが、そうであってはいけないはずです。個に徹しつつ、あえて連帯を求める、ということであれば、大学紛争の運動が壊滅はしなかっただろうと思います。

 今起こりつつある若い人たちの政治や政治以前の社会への関心というのは個を前提にしています。深く、厚みのあるものになっていく可能性があります。大人にできることは少なくともそれを邪魔しないこと。支えていくべきではないでしょうか。

 いま、憲法について国民の理解は深まっています。しかも、日本国憲法の価値を理解する若い世代がいます。主権者はわれわれ国民です。それが奪われようとしています。近代国家を否定するような主張に対して、「なめんなよ」の精神を持つことが必要です。それが、「個人の尊厳」ということの意味であり、危うげになった日本社会を救うことになるのではないでしょうか。

◇ 自民党の改憲草案は同党憲法改正推進本部のホームページ(http://constitution.jimin.jp)からダウンロードできる。■「3分の2与えてはならない」 8日夜、都内の貸しホールでマイクの前に立つ樋口陽一さんの姿があった。同じ憲法学者の小林節さんが旗揚げした政治団体「国民怒りの声」が開いた集会。参院選の候補者と支援者を前に「憲法問題こそが争点だ。改憲を目指す人たちに3分の2の議席を与えてはならない」と熱く語った=写真。

 人生初という選挙の応援演説。「いまの日本の政治は異常で異様。生まれて初めての熱意が政治の暴走に少しでもインパクトを与えることになれば」と登壇した。

 理知に満ちたいつもの語り口から一変、時折拳を握り締めるしぐさににじんだのは憲法学者の矜持(きょうじ)だった。「首相自身が自国の憲法を『みっともない』と表現している。憲法が侮られている。怒らなければならない。甘んじて受けてはいけない」。押しつけられた憲法だと改憲を唱道する宰相を戴(いただ)き、しかし、その危機が共有されているとは思えない危機的状況。警鐘を鳴らすのが自らの義務との思いも背中を押した。

 世論調査で改憲の国会発議に必要な3分の2議席を改憲勢力が占める情勢も伝わる中、「日本の政治は今さえ何とかなればいいと、無責任なその場主義に流れている。そもそも、そうした議論が自由にできる世の中の仕組みそのものが憲法。その仕組みを壊してはいけない」と呼び掛けた。

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