横浜高出身の松永が日本初の入賞 リオ五輪・男子20キロ競歩

 リオデジャネイロ五輪第8日の12日、陸上は男子20キロ競歩で横浜高校出身の松永大介(21)=東洋大=が7位となり、同種目で日本勢初の入賞を果たした。

    ◇ レース後、日本競歩界の新たな扉を開いた21歳に悔しさと手応えが交錯した。「メダルを目指していたので…。でも、誰もなかったこと。歴史に名を刻めたのかな」。陸上男子20キロ競歩で日本勢初の7位入賞を果たした松永大介は目に涙を浮かべながら笑った。

 スタートから飛ばした。8キロ過ぎには2位集団を抜け出し、11キロ手前で先頭に追い付いた。

 2014年の世界ジュニア選手権の1万メートル競歩で金メダルをつかみ、昨年のユニバーシアードの20キロ競歩でも銅メダルを獲得。「海外で結果を出せているのが強み」という松永だが、むしろ両足を加速させたのは五輪の高揚感だった。

 シニアの国際大会はこれが初めて。「ここの舞台が楽しくて楽しくて、気持ちが先に進んでしまったっていう感じ」。失うものはない。挑むだけだった。

 終盤スタミナは底を尽きかけ、勝負どころを知る中国勢に抜かれた。「10キロすぎからずっとつらかった。耐えるのが精いっぱいだった」。後続集団にものみ込まれた。

 それでも負けず嫌いは諦めない。「日本で応援してくれている人たちの顔が脳裏によぎって、ここで垂れていられないなと思った」。長距離から競歩に転向したのは横浜高校1年の時。2年時の全国高校総体は左足のシューズが脱げながら首位でゴールした。失格の判定を受けて涙を流しても数日後には、べろべろに皮がむけた足でもう練習に向かっていた。

 硬式野球部を甲子園のアルプス席から応援していた夏から5年。「自分が世界で活躍できるレベルになればこうやって応援してくれる人もいるのかなあ」。そんな対抗心を燃やし、専門的な指導を受けずとも努力で夢をかなえた松永の背中には、今や日本中の期待が寄せられていた。

 「世界の舞台で前を歩くのはめったにできないので気持ち良かった。悔しい思いも強いけど、いろいろ経験できて本当に楽しかった」。そう破顔したが、これからの4年、自らが先頭となって引っ張っていく気概は既にある。「日本は段階を踏んでメダルを取る位置にいくというのがベスト。その第一歩として誇りに思う」。そして、頬を引き締めてこう続けた。

 「前に出てしまった後悔はあるし、世界との差は大きい。冷静さも大切だし、歩型も安定させたい」。東京五輪で表彰台に立つための戦いは始まっている。

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