ハマの文化人集い31年 遊学校、メンバー高齢化で休校

 横浜を愛する文化人たちが講師となって、横浜にちなむ話題を毎月提供してきた公開講座「ヨコハマ遊学校」が31年の歴史に幕を閉じた。手弁当で運営を担ったメンバーらが高齢となり、“休校”を決めた。「わくわくする、肩の凝らない学問の場。すてきな講師たちとの出会いの場だった」と惜しむ声が上がった。

 船と港を描き続け、昨夏84歳で亡くなった画家でイラストレーターの柳原良平さんらが中心となって1984年に発足した「ヨコハマの会」が母体となり、毎月、メンバーを講師として気楽な講座を開こうと翌年5月に開校。2008年まで20回続いた「ヨコハマ遊大賞」と並び会の二大イベントとなった。

 初代校長は漫画家の小林治雄さん(故人)。柳原さんが「港町とヨコハマ」をテーマに語ったほか、コラムニストの青木雨彦さん(故人)、テレビキャスターの阿川佐和子さん(62)、漫画家のヒサクニヒコさん(72)、映画監督の前田陽一さん(故人)ら創設メンバーが講師を担った。「男と女の家庭学」「日本人の笑い」「最近思うこと」と変幻自在なテーマ設定だった。

 横浜市中区の野毛地区センターで毎月第3木曜日に定例で催し、会の新メンバーや報道各社の横浜支局長らも講演に加わった。31年間に開いた講座は300回以上。講師の手配や案内通知などを一手に引き受けた宮野力哉さん(82)は「会の目的は『ヨコハマとあそぶ』。各界の第一線で活躍する講師が横浜について勝手なことを言っていたかもしれないが、そこから学ぶことは大きかった」と振り返る。

 15日には同市中区のレストラン「スカンディヤ」で受講生による謝恩会が開かれ、講師を担った洋画家の北久美子さん(71)や、国立感染症研究所・ハンセン病研究センター長の石井則久教授(63)ら24人が参加。受講生から休校を惜しむ声が相次いだ。

 2代目校長で元監察医、客船「ぱしふぃっくびいなす」名誉船医でもある西丸與一さん(89)=同市南区=は「遊学校は結構悪い人、傑作な人がいて、とても面白い会だった。長い間、横浜で多くの人たちとお付き合いできた」とユーモアたっぷりに話し、最後まで笑いが絶えなかった。

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