浦賀奉行所、建物復元へ一歩 横須賀、跡地の社宅撤去方針

 幕末の江戸湾防備などを担った浦賀奉行所の跡地で、住友重機械工業(東京都品川区、別川俊介社長)が所有する川間社宅(横須賀市西浦賀5丁目、約6700平方メートル)が2017年度中に解体、撤去されることになった。3年前の閉鎖後、住民からは耐震面などを不安視する声が出ていた。地元では20年の奉行所開設300年へ当時の建物の復元を求める機運も高まっており、跡地の利活用の取り組みが注目される。

 吉田雄人市長が14日、都内で別川社長と面会後に明らかにし、「移設300年に向けて大きな一歩となったのは間違いない。地元は防災公園としての活用を求めており、跡地を市に譲渡してもらえるよう、お願いした」と述べた。

 市や同社によると、社宅は鉄筋4階建ての建物3棟(計128戸)で、1966〜70年に整備。2003年に閉鎖された旧浦賀工場(同市浦賀)の従業員らが使用していたが、社宅も13年3月に閉鎖した。

 築半世紀ほどの建物は老朽化。地元の浦賀・鴨居地域運営協議会など4団体が連名で「耐震性に問題があると思われ、廃墟となった建物が歴史の町・浦賀のイメージを損なっている」として、市を通じて撤去を申し入れていた。

 同社は17年12月末をめどに建物を撤去する方針。今後の土地の活用予定はないといい、「跡地については市や地元の意向を受けて検討したい」としている。

 現在の社宅の位置には1720(享保5)年、伊豆下田から移設した奉行所が開所。1868(慶応4)年までの約150年間、江戸湾防備などの拠点となった。現在は小さな掘割などが残り、市は跡地を示す看板などを設置。4年後の節目を控え、地元では復元を求める協議会も発足している。

 会長は「建物が一番のネックだったことは確か。まずは2020年に跡地で記念行事を行うことで、将来的な奉行所の復元につなげることができれば」と期待を込めた。

 吉田市長は同日の面会で、歴史的価値が高いとされる旧浦賀工場内のれんが積みのドライドックについても、国の史跡指定を目指すよう提案。別川社長も「社内で前向きに検討したい」と述べたという。

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