フロンターレが20周年に優勝したいこれだけの理由(下) 裏のエースがいなくなるから

 【カナロコスポーツ=佐藤 将人】J1川崎フロンターレは、23日にホーム等々力陸上競技場で鹿島アントラーズとのチャンピオンシップ準決勝第1戦に臨む。クラブ創設20周年の節目を、J1初タイトル獲得という最高の帰結で飾りたいのは当然のこと。ただクラブが「今年」にこだわる訳はそれだけではない。地域密着を地で行くクラブが20周年に優勝したいこれだけの理由、後編。

 ◆「裏のエース」がいなくなるから ずばり、スタッフ・天野春果さん(45)が今季を機に1度チームを離れるからだ。肩書はプロモーション部部長。川崎サポーターか、よほどのサッカーファンでない限りなじみはないだろうが、この人なしに今のフロンターレはあり得なかったと言われるほどの、「裏のエース」だ。

 クラブが創設される際に、スタッフ第1号として採用された。留学先のアメリカで目の当たりにした「地域にスポーツがあるという夢」を実現するため、「プロスポーツ不毛の地」と言われた川崎を歩き回り、地道に支持を広げていった。商店街、町内会、自治体。熱弁、粘り、泣き落とし。誰しもが認める「人たらし力」で、20年で川崎を変えた。

 そして、アメリカで培ったスポーツマネジメントの経験と、常識にとらわれない自由な企画力と、圧倒的な実行力。フロンターレの試合前イベントの奇想天外さの起点がこの人だ。チームが直面する「難局」に合わせて「南極」の企画をと国立極地研究所と組んだり、「南極を上回るには宇宙しかない」と今年は航空宇宙局(NASA)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)の協力を取り付け、選手に国際宇宙ステーションと交信をさせたり。その快挙は枚挙にいとまない。

 フロンターレはJリーグの地域貢献度の調査で、6年連続でリーグ1位に輝いている。その礎を築き、後進にたたき込んでいったのが天野さんだ。

 川崎を支えるサポーターやボランティア、地域を取材すると、すぐにその名前が出てくる。「天野さんが頑張っているから」「天野さんの頼みなら仕方ない」「天野さんにうまいことだまされちゃいました」。その誰もが、なんとも愛しげにその名を呼ぶのだ。

 加えてスタッフでもう一人、去る者がいる。残念ながら川崎から無くなってしまった相撲の春日山部屋との企画などを担当していた、高尾真人さん(32)。人懐こいキャラクターで親しまれ、フロンターレが支援を続ける被災地・陸前高田市とのつなぎ役にもなっていた。

 天野さんは東京五輪組織委員会に出向、高尾さんはカナダで起業する。ともに、川崎で得た経験をもとにさらに大きな夢へと挑戦しようとしている。

 少し大げさかもしれないが、スタッフからも風間監督と大久保選手クラスの2人がいなくなるのだ。彼らの別れの際に初優勝の好機が見えているという意味をスタッフはもちろん、選手も、コアなサポーターも分かっている。

 だからこそ、今年優勝したいのだ。

 ◆そしてやはり、20年分の思い 今季の開幕前、川崎の麻生練習場にあるクラブハウスが新装された。それまでの施設は、強豪クラブにしては簡素すぎるプレハブだった。だがその建てられた経緯、意味を知る関係者にとって、その完成式典は地域に支えられた20年の重みをかみしめた時間だった。

 1997年の発足当時、フロンターレはまともな練習場を持たず、土地を探していた。救いの手を差し伸べたのが現在の練習場の地主である、中山茂さん(79)だった。都内の学校法人が校庭として作った土地は、法人の経営悪化により塩漬けになっていた。かねてスポーツによる地域振興を描いていた中山さんは困難な権利委譲を一手に引き受け、土地をフロンターレに預けた。

 そうしてたどり着いたのが今の練習場であり、急ごしらえのプレハブクラブハウスだった。川崎の元社長・武田信平特別顧問が語る。

 「練習場を2面化する際、中山さんがお持ちの里山を削ってくださった。選手寮である青玄寮の建設もそう。寮の用地を探しているということを中山さんにお話ししたところ、自らの土地を差し出してくれ、さらにそこが狭いと分かると、自らの飛び地を売って、隣の土地を買ってくださった」 クラブハウスの完成式典で中山さんは祝辞を述べたが、自らの貢献はあまり語らず、謙虚にその経緯を話しただけだった。

 「そしたら中村憲剛選手がね、『そんな歴史知りませんでした。本当にありがとうございます』って言ってくれた。うれしかったよ」。好々爺(こうこうや)はなんとも言えない良い顔で笑うのだ。

 再び、武田元社長。「中山さんがいなければ、練習場も選手寮も、今のフロンターレもなかった。フロンターレにとって中山さんは大恩人です。足を向けて寝れないとはこういうことを言うのだと思います」 出会いと別れの20年。ここに記した功労者、クラブにとっての恩人は、ほんの一例だ。そしてクラブの面々はその後ろにいる大半の支援者が、「優勝はもちろんしてほしいけど、フロンターレがフロンターレらしくあり続けてくれることが何よりうれしいよ」と言ってくれる、優しい人たちであることを知っている。

 だからこそ節目の今年、彼らにタイトルというプレゼントをしたいのだ。

© 株式会社神奈川新聞社