「村上春樹を読む」(62) カーブするもの 異界へ入る道・成長して出る道

『ダンス・ダンス・ダンス(上)』(講談社)

 村上春樹の最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』(1983年)に「午後の最後の芝生」(1982年)という短編があります。読者の中でも、愛する人が多い作品として知られています。私もこの短編が好きで、「村上春樹を読む」の中でも何度か取り上げて書いています。

 その「午後の最後の芝生」の冒頭にビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)のことが出てきます。

 「僕が芝生を刈っていたのは十八か十九のころだから、もう十四年か十五年前のことになる。けっこう昔だ」という文章で「午後の最後の芝生」は始まっているのですが、それに続いて「十四年か十五年なんて昔というほどのことじゃないな、と考えることもある。ジム・モリソンが『ライト・マイ・ファイア』を唄ったり、ポール・マッカートニーが『ロング・アンド・ワインディング・ロード』を唄っていたりした時代―少し前後するような気もするけれど、まあそんな時代だ―がそれほど昔のことだなんて、僕にはどうもうまく実感できないのだ。僕自身あの時代から比べてそれほど変わっていないんじゃないかとも思う」と記されているのです。

 この私もこの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」が好きですが、今回の「村上春樹を読む」ではビートルズの歌そのものではなく、そのタイトル「長く曲がりくねった道」というものを考えてみたいと思います。

 それは村上春樹作品を読む際に、作中の「曲がっている」こと、「カーブしている」ことをどうとらえるかということが、大切なような気がしているからです。

 「曲がっている」ことや「カーブしている」ことをどうとらえるかということは、反対に「直線的なもの」をどう考えるかということに繋がっています。前々回の「村上春樹を読む」で「脈略もなく一直線に並べる新幹線」という問題を考えましたが、今回はその問題を「曲がっている」「カーブしている」ことの側から考えてみたいと思います。

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 いろんな村上春樹作品に「曲がっている」ことや「カーブしている」ことが出てきます。

 「午後の最後の芝生」(1982年)と同じ年に発表された『羊をめぐる冒険』(1982年)にも第八章に「不吉なカーブを回る」という項がありますので、この作品のことを紹介してみましょう。

 『羊をめぐる冒険』の終盤、主人公の「僕」が、「羊」と、行方不明となっている友人の「鼠」を捜して、「十二滝町」という北海道の果てにある町へ向かいます。泊まっていた札幌の「ドルフィン・ホテル」(いるかホテル)から、十二滝町へ向かうのですが、それは「旭川」の先にあるところです。

 「我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた。九十八年前にアイヌの青年と十八人の貧しい農民たちが辿ったのとほぼ同じ道のりである」と同作にあります。僕と耳のモデルをしている彼女は、列車をさらに乗り継いで、十二滝町に着いて、その町の緬羊管理人の古いジープに乗って、山を登っていきます。

 「山の勾配が少しずつ急になり、それとともに道路も大きなS字形のカーブ」を描き始めます。目指す方向は「谷に沿った道の前方に奇妙なほどつるりとした円錐形の山」の裏までまわったところにあります。

 緬羊管理人は「唇をしっかりと結んだまま右へ右へと大きなカーブを切りつづけ」て、カーブの道を登っていくのですが、不吉なカーブのところでは「これはすごく嫌なカーブなんだ」「地面ももろい。でもそれだけじゃねえんだ。なにかこう、不吉なんだよ。羊でさえここではいつも怯えるんだ」と話しています。

 そして「我々は急ぎ足で<嫌なカーブ>を通り抜けた。管理人の言うとおり、そのカーブにたしかに不吉なところがあった。まず体が漠然とした不吉さを感じ取り、その漠然とした不吉さが頭のどこかを叩いて警告を発していた。川を渡っている時に急に温度の違う淀みに足をつっこんでしまったような感じだった」と村上春樹は『羊をめぐる冒険』に記しています。

 この『羊をめぐる冒険』の場面の紹介だけでも、村上春樹にとって「カーブ」というものが、何かとても大切な意味を含んでいることがわかってもらえるかと思います。

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 物語的には『羊をめぐる冒険』の続編にあたる『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)にも、カーブが出てきます。『ダンス・ダンス・ダンス』では『羊をめぐる冒険』の「ドルフィン・ホテル」(いるかホテル)は、26階建ての巨大なビルディングに変貌していますが、そのホテルに勤務する「ユミヨシさん」という女性が16階でエレベーターを降りると「真っ暗」で、エレベーターのスイッチ・ランプも消えています。

 彼女は仕方なく、手探りで廊下を進んでみたのですが、「壁沿いにしばらく進む」と「廊下が右に曲がっていた」のです。

 その話を聞いた「僕」が、別な時にエレベーターを降りると「恐ろしいほどの完璧な暗闇」でした。「これはあの女の子が遭遇したのとまったく同じ事態」です。「僕は腹をきめて、暗闇の中を手探りでゆっくりと右に向けて歩き始めた」のですが、すると「廊下が右に折れていた」のです。「彼女の言ったとおり」だと、「僕」は思っています。

 この『ダンス・ダンス・ダンス』の「廊下が右に曲がっていた」のは『羊をめぐる冒険』の緬羊管理人がジープで「右へ右へと」不吉なカーブを登っていくことと対応した場面です。なぜなら『羊をめぐる冒険』の「僕」は、ジープで登った広い台地の上にあるアメリカの田舎家風の古い木造2階建ての家で「羊男」と出会っていますし、『ダンス・ダンス・ダンス』の「僕」は、「ドルフィン・ホテル」(いるかホテル)の16階の細長く狭い部屋で「羊男」と再会しているからです。

 「羊男」は、村上春樹が自分にとって永遠のヒーローであると考える存在ですが、その「羊男」に会うためには、右に<曲がった道>を歩むことが必要のようです。

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 この「カーブする」こと、「曲がっている」ことについて、『羊をめぐる冒険』の前作『1973年のピンボール』(1980年)はどうでしょうか。この場面はそうではないかと思うところがありますので、それも紹介しておきましょう。

 『1973年のピンボール』には「208」と「209」というトレーナー・シャツを着た双子の女の子が出てきます。その彼女たちと日曜日に貯水池に、古くなった<配電盤のお葬式>に出かける場面があります。

 配電盤は電話の回線をつかさどる機械のことです。その配電盤を新型へ交換するために電話局員が僕の部屋に来たので、僕が「今ので不自由ない」と言っても、それは旧式で困ると言うのです。配電盤はすべて本社のコンピューターに接続されているので、お宅だけがみんなと違った信号を出すと困ると言います。「ハードウェアとソフトウェアの統一」のために交換に来たと言うのです。

 配電盤を新しいものに交換後、電話局員は古い配電盤を忘れていってしまいます。そして、古い配電盤は弱って死にかけていきます。「死なせたくない」と僕は思うのですが、あきらめざるを得ません。それに続いて「配電盤のお葬式」という奇妙な、でも非常に印象的な場面があるのです。

 その日は朝から雨が降り続いています。前回のコラム「村上春樹を読む」で、村上春樹作品と雨の関係を記しましたが、「雨」は村上春樹作品にとって、大切なものです。

 「僕」は土曜日の夜に、翻訳事務所の共同経営者から空色のフォルクス・ワーゲンを借りてきて、日曜日、双子の一人を助手席に、もう一人はショッピング・バッグに入れた配電盤と魔法瓶を抱えたまま後部座席に乗せて、雨の中を出かけます。

 その日は「雨は永遠に降り続くかのよう」でしたし、「雨は休みなく貯水池の上に降り注いで」いました。

 そして「僕」は双子たちにうながされて、配電盤を貯水池に投げます。その前に「何かお祈りの文句を」と言われます。「僕」は「お祈り?」と驚いて叫びますが、双子の一人は「お葬式だもの、お祈りは要るわ」と言うのです。

 「僕」は頭から爪先までぐっしょり雨に濡れながら適当な文句を捜して、「哲学の義務は、」と、カントを引用して「誤解によって生じた幻想を除去することにある。…配電盤よ貯水池の底に安らかに眠れ。」と祈りをささげて、思い切りバック・スイングをさせてから、配電盤を四十五度の角度で力いっぱい放り投げます。

 そこには、次のように記されています。

 「配電盤は雨の中を見事な弧を描いて飛び、水面を打った。そして波紋がゆっくりと広がり、僕たちの足もとにまでやってきた」

 双子たちも「素晴らしいお祈りだったわ」と言っています。

 この「配電盤は雨の中を見事な弧を描いて飛び、水面を打った」の「見事な弧を描いて」という言葉に、私は、初期からの村上春樹の「カーブしたもの」に対する限りないこだわりを感じます。

 「そして波紋がゆっくりと広がり、僕たちの足もとにまでやってきた」という文章もいいですね。祈ること、霊的なものに触れることは、その心の動きとして「僕たちの足もとにまでやって」きて、祈る者を成長させるのです。

 ちなみに、この<配電盤のお葬式>の場面より前に、「僕」は双子の女の子たちとビートルズの「ラバー・ソウル」を聴いたり、カントの『純粋理性批判』を読んだりしていますが、祈りの言葉にある「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある」というのはカント『純粋理性批判』の第一版序文の中にある言葉です。

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 『羊をめぐる冒険』と『ダンス・ダンス・ダンス』に登場する「羊男」ですが、彼は戦争忌避者でした。『羊をめぐる冒険』の十二滝町は、かつて「これより先には人は住めない」という所でした。「僕」が「どうしてここに隠れて住むようになったの?」と質問すると、「羊男」は「戦争に行きたくなかったからさ」と答えています。戦争忌避者である「羊男」だから、人の往来も途絶えるような場所に隠れ住んでいるのです。

 その戦争忌避者である「羊男」には、日露戦争をはじめとする戦争の死者の姿が重なってきます。羊は日露戦争のための防寒具用に、明治政府によって振興されて飼育された動物ですが、その日本の兵隊たちが使った羊毛の防寒具が旭川には残っています。私も旭川を取材する機会に、その日本兵が着た羊毛の防寒具を見ました。

 旭川は戦前、陸軍第七師団があった軍都でした。第七師団は日露戦争に参戦、ノモンハン事件にも出動しています。

 『羊をめぐる冒険』の僕たちが、十二滝町へ向かう際、「我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた」と書いていますが、それはかつて軍都であった「旭川」(戦争の死者、霊魂の世界への入り口)を越えて、さらに北へ向かい、死者の世界や霊魂の世界に入ったということでしょう。

 このように『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』の「羊男」は戦争による死者や霊魂のイメージに満ちています。

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 <配電盤のお葬式>という奇妙な儀式にも<配電盤の死>と<配電盤の霊魂>と言ってもいいようなものがあります。その<配電盤の死>は何を表しているかというと、おそらく、これは言葉の死というものでしょう。

 今の若い世代、携帯電話世代には少し理解しにくいかもしれませんが、電話の配電盤は言葉と言葉をつなぐ装置です。それが本社の一つのコンピューターに接続される状況になり、「お宅だけがみんなと違った信号を出すと困る」と電話局員が配電盤を交換にきたのです。

 本社のコンピューターにすべて接続されて統一されるということは、言葉というものが近代的なシステムの中で、個々の特徴を許さない統一的な言語に変換されていくということです。電話局員が忘れていった古い配電盤というのは、たとえば、動物と会話ができるような、かつて個々の日本人にあった言語感覚を表しているのではないかと思います。そういう言語感覚が衰弱し、死んでいくということだと思います。

 <配電盤のお葬式>は、そんな日本人にかつてあった生き生きとした言語感覚の死に対するお葬式でしょう。

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 村上春樹作品で、大切なものが<カーブしている>のは、何も初期も作品だけではありません。

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)の最後は「意識の最後尾の明かりが、遠ざかっていく最終の特急列車のように、徐々にスピードを増しながら小さくなり、夜の奥に吸い込まれて消えた。あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った」というものでした。これは中央線の松本行き特急列車が新宿駅を離れていく場面と重なっています。

 このことは前々回の「村上春樹を読む」でも紹介しましたが、その中央線について「八王子までは都市部を走るので、騒音を抑えなくてはならないし、そのあともおおむね山中を進み、カーブが多いこともあって、派手なスピードは出せない。距離のわりに時間がかかる」と村上春樹は記しています。

 この文章のうち「カーブが多いこともあって」ということが、私は大切ではないかと思っています。

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の前作『1Q84』(2009―2010年)には、主人公が都市部を走る中央線に乗る場面があります。

 主人公の天吾とふかえりという美少女作家の2人が中央線に乗っている場面で、次のようなことを天吾は考えています。

 「中央線はまるで地図に定規で一本の線を引いたように、どこまでもまっすぐ延びている」「だから人が感知できるようなカーブも高低もなく、橋もなければトンネルもないという路線ができあがった」「電車は目的地に向けて一直線にひた走っていくだけだ」

 こんな中央線に乗って、レールの立てる単調な音に耳を澄ませていると「知らないうちに天吾は眠って」しまうのです。直線的なものは天吾は苦手で、眠るしかないのです。

 簡単に言うと(簡単に言ってはいけませんが)「カーブも高低もなく」「目的地に向けて一直線にひた走っていく」中央線はダメで、「カーブが多いこともあって、派手なスピードは出せない。距離のわりに時間がかかる」中央線はよいのです(ただし塩尻駅から松本駅までは篠ノ井線です)。ここにも村上春樹の「カーブ」好きは反映していると言っていいと思います。

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 村上春樹の作品は、簡単に言うと(これも、なかなか簡単には言えませんが、あえて言うと)死や霊魂の世界に主人公が入って行き、そこで重要な体験をして、主人公が成長し、その異界から出てくるという形をしていると思います。

 『羊をめぐる冒険』も「僕」が「これより先には人は住めない」という異界に入っていって、「僕」がそこで「羊男」や羊男の姿で僕の前に現れた友人の「鼠」と再会して成長し、「僕」が外の世界に出てくるという物語ですし、『ダンス・ダンス・ダンス』も新しい「ドルフィン・ホテル」(いるかホテル)の16階という異界で「羊男」と再会して、「羊男」との対話を通して、成長して、死や霊魂の世界から出てくるという形をしています。

 きっと『1973年のピンボール』での<配電盤のお葬式>の場面も、同じような、死や霊魂の世界に触れて、その体験を通して成長していくという意味を持っているのではないかと思います。

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の多崎つくるも例外ではないでしょう。「僕」はフィンランドの森の中にいるエリ(黒埜恵理)と再会して成長し、東京に帰ってきます。森は村上春樹の主人公たちを成長させる場所です。

 『ノルウェイの森』でも森に囲まれたような京都のサナトリウムにいる直子と再会し、死や霊魂の象徴である直子と話すことで「僕」が成長して、東京の現実世界に戻ってきます。

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 同じように多崎つくるもフィンランドの森で、エリ(黒埜恵理)と再会することによって成長して、東京の現実世界に戻ってきているのです。

 「意識の最後尾の明かりが、遠ざかっていく最終の特急列車のように、徐々にスピードを増しながら小さくなり、夜の奥に吸い込まれて消えた。あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った」

 紹介したように、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最後の一文は、中央線の松本行き特急列車が新宿駅を離れていく場面と重なっています。その特急は「おおむね山中を進み、カーブが多いこともあって、派手なスピードは出せない」列車です。

 このカーブが多い線路を行く特急列車のイメージは、成長した多崎つくるにとって、異界から出て、現実の中で出合うものに対しても、きっとよき予兆として描かれていると思います。

 例えば『羊をめぐる冒険』で、「僕」は不吉なカーブをジープで登った広い台地の上に建つ別荘で捜していた「鼠」と再会した後、その別荘を去り、山をくだるのですが、この場面は「不吉なカーブ再訪」と題されています。

 今度は車ではなく、歩いて山を下ります。「長い長い白樺林を抜け、橋をわたり、円錐形の山に沿ってぐるりとまわって、嫌なカーブに出た」のですが、その次には「カーブに積った雪はうまい具合に凍りついてはいなかった」と記されています。

 カーブは、異界に入る危険な道ですが、その異界で成長した者にとっては、そのカーブをうまく越えていけるものとして描かれているのです。

 多崎つくるもカーブの多い山道を行く、特急列車のことを思いながら眠りにつくのですから、きっといい意味で、異界から抜け出すことができたのではないかと思います。

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 以上のように、村上春樹作品の「カーブした」ものや「曲がった」ものは、主人公の異界への入り道であり、異界(死の世界や霊魂の世界)で成長した主人公が、現実世界に出てくる道なのだと思います。

 あまり例示の多いことは、かえって、よくありませんので、このくらいで今回の「村上春樹を読む」は終わりにしたいと思いますが、最後に一つだけを加えておきましょう。

 『ダンス・ダンス・ダンス』に「ユミヨシさん」という札幌の「ドルフィン・ホテル」(いるかホテル)の「ホテルの精」のような女性が登場します。その「ユミヨシさん」について「彼女の実家は旭川の近くで旅館を経営」していると村上春樹は書いています。

 村上春樹作品の「旭川」は「死や霊魂の世界」への入り口です。ですから「ユミヨシさん」も「羊男」がいる「ドルフィン・ホテル」(いるかホテル)の16階の暗闇の中に入る人物として同作で描かれているのでしょう。

 この「ユミヨシ」という名前は、『ダンス・ダンス・ダンス』の読者になかなか明かされず、彼女が「ユミヨシ」という名字であることが記されるのは、下巻に入ってからです。そして「僕」は「ユミヨシ」をどんな字で書くのかが分からないので、東京の電話帳を片っ端から繰って名前を捜します。

 「東京都内には二人のユミヨシ氏がいた」そうですが、一人は「弓吉」という字になっていて、もうひとりは写真屋で「ユミヨシ写真館」とあったそうです。

 これは「ユミヨシ」が「弓吉」である可能性を示しています。この「弓吉」というのは「カーブよし」という名づけではないかと思うのですが…。考えすぎでしょうか。

 危なく、不吉なカーブを通って死者の世界・霊の世界に入っていけて、そこから出てこられる人として「ユミヨシ」は「弓吉」(カーブよし)でもあるのかなと考えているのです。(共同通信編集委員・小山鉄郎)

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