音楽で“愛”伝えたい

 年末を迎える横浜で、12月22日に単独ライブを行う。俳優としての活動がめざましいので「音楽?」と意外に思う人もいるかもしれない。

 「職業としてのスタートは俳優ですが生い立ちから考えると音楽が先にあったし、エンターテインメントの世界に入ったきっかけも音楽でした」。香港のクラブでラップをしているときにファッションエディターの目に留まり、モデルデビューにつながったという。

 母親がピアノの先生で「もっと熱心に習っておけばよかったと、今になって後悔している」とはいうものの、鍵盤楽器やギターなど、ほとんどの楽器を演奏し、作詞、作曲もこなす。10月に配信限定で出したシングル「History Maker」は疾走感のあるメロディーが特徴的で、アニメ番組のオープニング曲になっている。

 「音楽で一番伝えたいことは“愛”です。愛の素晴らしさ。勇気や信頼とかいろんな感情がありますが、愛は一番残るものじゃないでしょうか。ポジティブなものだということを伝えたい」 音楽活動も俳優業も、自分の中ではどちらも創造的な活動であって、全く違うことをやっている意識はない。「映像も音楽も、芸術として重なり合うものは大きい。せりふを話すのと同じように、歌詞に思いを込めている」 ドラマ撮影の合間を縫ってライブの準備を進めている。「絶賛企画中です」と苦笑するが、胸に秘めた思いは熱い。「ミュージシャンとしてやるべきことをぶつけたいし、ライブパフォーマンスに集中したい。お飾りじゃなくて、ここで自分が演奏する意味があるんだと、お客さんも納得できるようプラスになる形でアレンジがしたい」 香港、台湾、インドネシアとアジア圏で活動してきた。「国籍がその国にある人でも、夢をかなえるのは難しい。母国語でない言語でキャリアを重ねていくのはさらに難しい」と身にしみている。

 だからこそ、今、祖国で仕事ができるのはありがたいという。「日本には閉じられたイメージがあって、日本で活動するのは難しいだろうと思っていた。だから奇跡が起こったな、と思っています」お気に入り ベトナム料理の「ビーフフォー」が大好物。おいしいだけでは満足できず、自分流のこだわりの味がある。「自分で作るのは難しいので、食べに行きます。東京の小岩にあるお店ではディーン・フジオカスペシャルというレシピを作ってもらいました」とうれしそう。フォーの麺は米粉でできているので、グルテンアレルギーがあるディーンさんも安心して食べられるそうだ。ディーン・フジオカ俳優。1980年、福島県生まれ。高校卒業後米国・シアトルの大学へ留学。大学卒業後香港へ渡りモデルとして活躍、映画「八月の物語」(2005年)の主演に抜てきされ俳優デビュー。その後台湾に拠点を移しドラマ、映画、テレビコマーシャルなどに出演。日本では15年NHK連続テレビ小説「あさが来た」の五代友厚役で大ブレーク。自ら作詞、作曲、プロデュースを手掛ける音楽制作をインドネシアで行うなど、語学力と多方面の才能を生かしボーダーレスに活動中。12月22日パシフィコ横浜国立大ホールでライブ「DEAN FUJIOKA Special Live InterCycle 2016」を行う。午後7時開演。全席指定8千円。問い合わせはキョードー横浜電話045(671)9911(平日午前10時〜午後6時)。記者の一言 横浜にはドラマのロケなどで何度も来ているそう。「中華街は素晴らしいですね。撮影で遅くなっても、ちょっと寄ってあったかい物を食べられる」。多言語を操る視点から「日本語が話せない人たちにとって横浜は住みやすいんじゃないかな」との見方も。そこにはインドネシアの自宅で暮らす奥さんを思う気持ちもあったようだ。ついに“五代さま”に会えるとウキウキのインタビューを行う数日前、奥さんが第3子を妊娠されたとの発表が。「おめでとうございます」と、自然と将来家族を日本に呼び寄せるかどうかの話に。奥さんは日本語が全く話せないとのことで「撮影で何日も家を空けることを考えると、妻の両親の近くで過ごせる方がいいと思っています」。そんな家族思いの姿もすてきなんです。

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