【この人にこのテーマ】〈創業100年の歴史〉シンフォニアテクノロジー・古谷浩三社長 電機技術を軸に多様な事業へ派生

シンフォニアテクノロジー・古谷浩三社長

今年で創業100周年を迎えるシンフォニアテクノロジー。同社は戦前の大財閥・鈴木商店の傘下となった鳥羽造船所の電機品工場を源流とし、時代の変化に合わせ様々な製品開発に挑んできた。神戸製鋼所と合併していた時期もあり、鉄鋼や建機向けでの縁も深い。自身も歴史好きという古谷浩三社長に100年の歩みと今後の戦略を聞いた。(黒澤 広之)

――創業は1917年5月ということですが、誕生の経緯は。

「今の三重県・伊勢や鳥羽は元々織田信長の時代に水軍で名をはせた九鬼嘉隆の本拠で、この時代に初の鉄甲船が造られたように造船業とはゆかりのある地でした。明治維新後に鳥羽藩・稲垣氏の士族が鳥羽造船所を興し、1916年に鈴木商店が同所を買収。この造船所や船で使う電気品を自製しようと翌年5月に『電気係』として100坪の工場を設けたのが当社の発祥となります」

「この時に鈴木商店の大幹部で、鳥羽造船所の取締役に就いたのが、当社の事実上の創業者である辻湊さんです。辻さんは電機分野で優秀な人材を集めるよう指示し、当社の育ての親となる小田嶋修三さん(のち神戸製鋼常務)のもと多くの方が入社されました。これが当社で多様な事業を手掛ける素地になっています」

――シンフォニアは神戸製鋼を起源とする印象がありましたが、実際は鈴木商店の直系として生まれたのですね。

「鈴木商店のグループ再編で、神戸製鋼とは1921年に統合しています。神戸製鋼の初代支配人で『田宮賞』でも知られる田宮嘉右衛門さんと辻さんは親密で、石川島造船所で働いていた辻さんをスカウトしたのも田宮さんではないかと言われています」

――親会社の鈴木商店は経営破たんしたものの、神戸製鋼の中でシンフォニア自身は着々と事業を広げています。

「当時から当社は様々な製品に挑戦しましたが、初め船の発電機から、繊維巻取り用のポットモーター、産業車両、航空機用の電装品へと派生していったように電磁力を応用してきた大きな流れがあります」

「1927年にはモーターの起動に必要な電磁クラッチの自社生産に成功しており、これが日本のクラッチ生産の草分けです。今では子会社のシンフォニアマイクロテックや大崎電業社を含め、電磁クラッチブレーキで年商100億円の事業となっています」

――1930年には、今のコベルコ建機につながる電気ショベルの生産にもかかわっています。

「当時は同じ神戸製鋼の一部門で、当社の電動技術がこの時に生かされました。今もコベルコ建機との関係は深く、コントローラの供給をはじめ、ハイブリッド建機といった電動化対応で人的な交流も行っています」

――戦後、財閥解体の一環で神戸製鋼から分離しますが、この前後に生産拠点も変遷しています。

シンフォニアテクノロジーの歩み

「工場は鳥羽に加え、1941年に20万坪弱の山田工場(今の伊勢製作所)を開設。戦中ということでそれでも軍部からの発注に追い付かず、43年に東京・日野で研究所を、44年には三重で55万坪の松阪工場を立ち上げました。この頃は軍需対応の時代で、山田工場は空爆を受け大半が焼失しています。私は1974年に入社し伊勢へ配属となりましたが、この時もまだ空爆の跡がありました」

「終戦と共に軍需製品の生産は中止し、松阪工場は閉鎖しています。そして鉄鋼など重工業の成長期に入ると、鳥羽や伊勢では製鉄所で使われるような大型設備を造るのが物流面で難しくなり、65年に豊橋製作所(愛知県)を開設。豊橋へ生産を移しました。69年には鳥羽工場も今の場所へと移転し、小型モーター専用の新工場となっています。東京の研究所は東京工場となり、振動機やパーツフィーダを製造していましたが、78年に閉鎖し豊橋へ生産を移しています」

――一方で、海外での現地生産も進めました。

「89年にタイでパーツフィーダの工場を立ち上げたのが最初で、94年には中国で天津神鋼電機有限公司を設立。2010年にはダイケン(今のシンフォニアマイクロテック)を完全子会社化し、同社の中国・東莞工場で現地生産を始めました。16年には『チャイナ・プラス・ワン』としてベトナムのハノイ近郊にシンフォニアマイクロテックの工場を立ち上げています」

――100年の歴史を振り返り、古谷社長はどこにシンフォニアのターニングポイントがあったと思いますか。

「もともと電装品から派生した会社と申し上げましたが、その流れで冷蔵庫や電球といった電機製品にも手を拡げた時期がありました。それは撤退してBtoB製品に軸足を置いた中堅の重電メーカーとなり、さらに80~90年代には脱重電を進め、半導体向けや自動車試験機、プリンターという今の事業の柱を築いたことだと思います」

年商1千億円へ受注ベースで射程圏に

――創業100周年にあたり、売上高1千億円を目標に掲げています。17年3月期では850億円を見込んでいますが、今後どう伸ばしますか。

「今上期の受注は前年同期比28・3%増の493億円。下期にどれだけ積み増せるかによりますが、年間1千億円の受注は視野に入りつつあります」

「100周年の期間にあたる17年度(18年3月期)で目標とする売上高1千億円を達成すべく、中期計画では4つの重点分野を掲げています。1つは航空宇宙事業で、かねて強みとする艦船向けだけでなく防衛全般や、将来的には民間航空機向けの電装品も拡販を狙っています。宇宙分野では昨年12月20日に打ち上げが成功したイプシロンロケット2号機に当社も製品を納入しており、開発中のH3ロケットでも貢献したいと思っています」

「2つ目はモーションコントロール機器事業。建機のハイブリッド化だけでなく自動車の電動化でも大きなチャンスがある分野です。当社は電磁クラッチブレーキ、ドライブモーター、コントローラの3つを生産している強みがあります」

「3つ目は半導体向けクリーン搬送機器事業で、半導体メーカーの設備投資が好調なため、ロードポートや周辺機器含め計画以上の受注を獲得しています」

「4つ目は振動機器事業で、日本ではトップの技術で、世界でも多様な機種を手掛けている分野。今後は海外での現地生産や、よりコストダウンした廉価版を投入することで受注を伸ばしていきます」

――次の100年に向け、どのような会社にしていきたいですか。

「次期中計に向けた検討にもつながりますが、やはり事業はナンバーワンでなければいけない。プリンターや半導体向けのロードポートは世界一の製品であり、振動機は国内トップ。こうした強い分野を育てていきます」

神戸製鋼やコベルコ建機「今後も良好な関係」

――神鋼との関係は。

「当社がいまあるのも神戸製鋼のお陰。資本上は親子関係でなくなったものの、人的な交流は盛んになっており、良好な関係は今後も続けていきます」

聞き手から 社史をまとめる中で、古谷社長は「先人が苦労し荒波を乗り越え続けてきた会社だと改めて感じた」と話す。競合が激しい電機業界で決して規模は大きくなくとも今日まで至ったのは、技術オリエンテッドによる開発型の企業として様々な事業を開拓してきた賜物と言える。

古谷社長は「これをやってみたいという声が出てくれば『やれや』と試作する、自由さがあるのが当社の文化」とし、その良さを今後も引き出していく考えだ。最近では農業や水産、医療向けといった新しいフィールドにも挑戦している。その精神は電機だけでなく造船、食品、炭鉱業や、NHKの創設にまで幅広く活躍した創業者・辻湊に通じるのかもしれない。

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