早実の怪物2人の運命を変えた、背番号1・斎藤佑樹の「あの夏」

4年ぶり21度目の出場を決めた早実で注目の1年生4番・野村大樹内野手は「地元が関西。そこでやりたいと思っていたので、夢のようです」と自身初の聖地行きに胸を高鳴らせた。ここまで思いが深いのにはワケがある。兵庫・宝塚市出身。甲子園は幼少期から20~30回も観戦に訪れた場所だった。その中の一つに「あの夏」の激闘が含まれていたという。

清宮らを擁する早稲田実業は今春のセンバツ出場を決めた【写真:編集部】

2006年夏の甲子園決勝、スタンドで心奪われた2人の少年

 1月27日に行われた第89回センバツ高校野球大会(3月19日から12日間・甲子園)の出場校発表。4年ぶり21度目の出場を決めた早実で注目の1年生4番・野村大樹内野手は「地元が関西。そこでやりたいと思っていたので、夢のようです」と自身初の聖地行きに胸を高鳴らせた。ここまで思いが深いのにはワケがある。兵庫・宝塚市出身。甲子園は幼少期から20~30回も観戦に訪れた場所だった。その中の一つに「あの夏」の激闘が含まれていたという。

「斎藤佑樹さんが駒大苫小牧と戦った早実の試合も観に行っていました」

 野球ファンの記憶に深く刻まれているだろう伝説の試合。2006年夏の甲子園決勝、エース・斎藤を擁する早実は田中将大がいた駒大苫小牧と延長再試合の死闘を演じ、初優勝を果たした。2日間計24イニングで超満員の観衆を熱狂させた甲子園球場に、高校野球初観戦だった大樹少年がいた。当時5歳でも、激闘に心奪われた。

 そこから力をつけ、中学3年でU-15侍ジャパンの4番を務めるまでに成長。全国の強豪校から注目される逸材となった。進学の際は、あの夏に斎藤が胸に着け、躍動した「WASEDA」への憧れが、早実を志す理由となったという。

心を揺さぶられたもう一人の怪物

 入学後、1年生ながら名門の4番を託され、すでに23本塁打をマーク。秋の東京大会決勝の日大三戦ではサヨナラ2ランを放ち、センバツ行きが当確。自らのバットで、スタンドから見つめていた甲子園の黒土を踏む権利をつかみ、出場決定後にはこう意気込んだ。

「自分の持っている以上の力を出せる場所。神宮大会で5割以上、打ったので、甲子園でも5割以上は打ちたい」

 心揺さぶられたのは、野村だけではない。早実のもう一人の怪物・清宮幸太郎内野手(2年)も、あの日、甲子園のスタンドにいた。

 当時、早実初等部1年生だった幸太郎少年の父は、言わずと知れたラグビーの元トップスター・克幸氏。偉大な父の影響で、野球だけでなく、ラグビーも始めた。だが、白球か楕円球か、後にどちらかに絞り込む際、甲子園で得た感動と興奮がやはり、野球を志す一つのきっかけとなったという。

 その後の活躍は、誰もが知るところ。1年夏に初出場した甲子園で2試合連続本塁打の離れ業を演じ、4強入り。通算本塁打は2年秋終了時点では驚異の78本に到達し、3番を託される主軸として押しも押されもしない今年のドラフト目玉候補に躍り出た。

斎藤から清宮、野村…まだ見ぬ怪物へ、バトンは紡がれていく

 18歳にして、甲子園のヒーローとなった早実のエース・斎藤。その姿にスタンドで魅了された幼き少年が早実の3、4番を組んでグラウンドに立ち、「あの夏」以来の甲子園制覇に挑もうとしている。そして、これも何かの運命か、斎藤は日本ハムで今年から、当時と同じ背番号1を着け、輝きを取り戻すシーズンが始まった。

 清宮は1年夏に甲子園に出場した際、こんなことを語っていた。

「自分もここの舞台で、野球をやりたいと思えたので、そういう子たちにも自分たちがプレーしてる姿を見て、野球をやってみようとか、もっと頑張ろうと思ってもえらえるようなプレーがしたい」

 計5試合で21万3000人を動員して以来、3季ぶりの出場。再び甲子園のスタンドは満員となり、未来の甲子園球児も多く目を輝かせることだろう。早実の新怪物2人がかつてのヒーローのように躍動すれば、斎藤から清宮、野村――そして、まだ見ぬ怪物へ、バトンはきっと紡がれていく。グラウンド上の勝ち負けだけではない、それもまた、甲子園が織りなすドラマの魅力だ。

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