「背中で見せる」―青学大監督が語る教え子、侍J小久保監督のリーダー像

侍ジャパンの小久保裕紀監督、球界最年長のロッテ・井口資仁内野手、ヤクルト・石川雅規投手らを輩出した青山学院大野球部。1993年からコーチを務め、前指揮官の勇退に伴い、2015年に就任した善波厚司監督(49)に、当時主将を務めた小久保のリーダーシップのほか、井口、石川の在学時代について秘話を聞いた。

青山学院大時代の小久保・侍ジャパン監督【写真提供:善波厚司監督】

「一言の重み」でチーム牽引、初出場日本一の快挙も

 侍ジャパンの小久保裕紀監督、球界最年長のロッテ・井口資仁内野手、ヤクルト・石川雅規投手らを輩出した青山学院大野球部。昨年、豪快なスイングでシーズン終盤に本塁打を量産したオリックス・吉田正尚外野手もその出身だ。27年間にわたり指揮を執った河原井正雄監督のもと、1993年からコーチを務め、前指揮官の勇退に伴い、2015年に就任した善波厚司監督(49)に、当時主将を務めた小久保のリーダーシップのほか、井口、石川の在学時代について秘話を聞いた。

 善波監督は、社会人野球の日産自動車を経て、93年に母校のコーチに就任した。その年、4年生でキャプテンを務めていたのが小久保、1年生には井口がいた。

 当時のチームには、卒業後、松下電器(現パナソニック)で強打者として活躍した清原幸治、本田技研(現ホンダ)を経て、広島に入団した高山健一(現広島スカウト)らも在籍。能力の高い選手たちを統率したのが、小久保主将だった。「小久保はとにかく練習の虫でした」と振り返る善波氏。印象的に残っているのは、キャプテンとしてチームを牽引する姿勢だったという。

「チームメートには口でうるさく言うタイプではなかったですね。背中で見せるタイプでした」

 ただ、黙々と練習をこなしているだけではない。チーム状況を見極め、必要な時に言うべきことを言い、チームの空気を引き締めていた。

「『ここ』という時に的確な言葉で伝えるんです。そのひと言の重みで、チームを引っ張っていましたね」

 そんな小久保のリーダーシップは結果として表れる。春の東都大学リーグで7季ぶりの優勝を飾り、初めて出場した全日本大学選手権で全国の強豪を次々と破って優勝。初出場初優勝という快挙で、創部111年目のチームに日本一をもたらした。

同期にドラ1が3人…「スター軍団」に揉まれ、成長した井口

 能力だけでなく、意識の高い選手が揃い、個々がうまく機能し、大きなチーム力を生み出した年代だった。そんな4年生を見ていたのが、当時1年生の井口だ。

「井口はもともと、持っている能力は高かったので、順調に伸びましたね。先輩たちの行動やプレーを見て、刺激になった部分はあったと思います」

 井口の学年には、澤崎俊和(元広島、現2軍投手コーチ)、清水将海(元ロッテ、中日、ソフトバンク、現ソフトバンク1軍バッテリーコーチ)、倉野信次(元ダイエー―ソフトバンク、現ソフトバンク1軍投手総合コーチ)がいた。ダイエーに入団した井口を含め、3人がドラフト1位でプロに入団。倉野は4位で入団し、同一学年で4人のプロ選手が誕生した。

「スター軍団でしたね。レベルが非常に高かったです。その中で揉まれたことも、井口にとっては大きかったと思います」

 167センチと小柄ながら、ヤクルトに入団した1年目の02年に12勝を挙げ、新人王を獲得した石川は、負けん気と体の強さが特長だった。

箱根駅伝3連覇の陸上部から刺激、「指導者に求められる力」とは

「相当なメニューを課しても、故障はしなかったですし、弱音を吐きませんでした。『きつい練習だからこそ楽しくやらないと』と言ってやっていました。そういうメンタルの強さを持っていましたね」

 善波監督は、2015年から3年連続で箱根駅伝総合優勝に輝いている陸上競技部の練習姿勢に刺激を受けているという。

「選手が目的を持って自主的に走っている、そんな姿勢を感じます。指導者の考え方が選手に浸透し、それを個々の選手が理解し、練習をしているんだと思います。いかに選手の持っている能力を成長させられ、その力をうまく発揮させてあげられるかが、指導者に求められる力だと思います」

「少しずつ成長してきたチームを、正尚から下の世代で止めてしまうことなく、良いものを残しながら、また自分たちのオリジナリティも加えて、さらに良いチームにして欲しい」と、選手たちへの思いを語る善波監督。チームは東都2部に甘んじているが、今秋ドラフト候補の葛川知哉らを擁し、春に5季ぶりの1部復帰を狙う。プロで活躍する先輩たちを見て、再び強いチームに生まれ変わることを期待しながら、指導に当たっている。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki

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