広がる「ボッチャ」 パラ五輪で脚光

 昨夏のリオデジャネイロパラリンピックで日本チームが銀メダルをつかみ、一躍脚光を浴びたボッチャによる交流の輪が広がっている。昨秋には障害者だけでなく、地域住民にも門戸を開いた大会が横浜市内で開かれ、分け隔てなくパラリンピックスポーツの魅力に触れた。

 昨年10月、横浜市立上菅田特別支援学校(同市保土ケ谷区)で催された「第1回上菅田ボッチャ競技会神奈川大会」。同校や県内の特別支援学校の生徒のほか、保護者や教職員らも直径約8センチのボールを投じ、その行方に一喜一憂した。

 ボッチャは、脳性まひなど重い障害のある人たちのために考え出された欧州発祥のスポーツ。赤と青の球を交互に投げ合い、コート上の白い目標球に近づけた方が勝者となる。ボールを手で投げられない選手はボールを転がす滑り台のような投球補助具を使ったり、ボールを蹴ったりすることが可能で、たくさんの人が親しめる。

 今大会に一般参加者も交えたのはボッチャの競技性ならではだ。「地上のカーリング」と呼ばれるほど戦略性に富むため、障害のあるなしは関係なく、日頃の練習や経験がものをいう。実際に第1回大会を制したのは、同校の卒業生でつくるチームだった。

 大会を立ち上げた同校の佐塚丈彦校長は「ボッチャはみんなで一緒にできるスポーツ。(運動が限られる)子どもたちにとって、協力して勝った負けたを体験できる貴重な機会」と意義を強調する。同校小学部6年の長女の介助で出場した岡田江里子さん(41)は「夢中になれるものができるとは全く想像できなかった。普段の生活の中で自信を持つということが大事。いろいろなことにつながってくると思う」と話した。

 在校生の多くは今回が人生初のスポーツ大会だったが、早くも新たな目標が芽生えている。

 同校高等部3年の眞板航大さん(18)は予選敗退の悔しさを力に変え、ことし1月には障害者スポーツ文化センター「横浜ラポール」(同市港北区)で開かれた大会に出場して銅メダルを獲得。「負けたままじゃ終われないって思って出てみようと思った。相手が強いほど燃える。将来はパラリンピックに出たい」と夢を膨らませている。

 一方、パラリンピックスポーツは他でも広がりを見せている。日本財団パラリンピックサポートセンターでは2020年の東京パラリンピックのPRを目的に、企業や自治体、大学による運動会のプログラムにボッチャなどの導入を支援する新事業に乗り出そうとしている。競技を通じて相手を理解、尊重する気持ちを育むことなどを狙いとし、今春から20年まで実施したい考えだ。

 同校では、来年7月に第2回大会の開催を予定している。佐塚校長は経済的な負担や環境の整備、保護者の付き添いが必要など障害者スポーツを取り巻く課題は多いと指摘しながらも、「みんなが知っているスポーツになればもっと広げることはできる」と力を込める。「個人だけでの申し込みでも障害のある子と一緒にチームを組むという参加の仕方もある。障害の理解につながると思う」と期待を寄せている。

 ◆ボッチャ ボッチャはイタリア語でボールの意味。重度脳性まひ者や四肢重度機能障害者向けに欧州で生まれた。赤い球と青い球を交互に6球ずつ投げ、その前に投げていた目標球の白いジャックボールにより近づけた方が勝者となる。障害でボールを手でコートに投げられない選手は介助者のサポートを受けながら「ランプ」と呼ばれる滑り台のような投球補助具を使えるほか、ボールを蹴ることもできる。

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