【この人にこのテーマ】〈アルミ鋳鍛造事業80周年〉神戸製鋼所・藤井拓己常務「航空機部品からスタート」 自動車用サスペンションなど世界で展開

神戸製鋼所・藤井拓己常務

神戸製鋼所は今月、旧名古屋工場で本格的にアルミ鋳鍛造事業を開始してから80周年を迎えた。航空機部材の製造からスタートした同事業は、時代の移り変わりとともに生産品目を入れ替え、主力工場も大安工場(三重県いなべ市)へと移転するなどして事業の強化を図ってきた。アルミ鋳鍛造事業を管掌する藤井拓己常務に、80年の変遷と今後の事業展望などを聞いた。(遊佐 鉄平)

――節目を迎えた率直な感想を。

「アルミは精錬技術のホール・エルー法が開発されてからまだ130年程度と非常に歴史の浅い素材だが、この素材を80年も前から取り扱っていたのだと思うととても感慨深い。操業当時と現在では製品や設備、製造方法がまったく異なっているものの、諸先輩方がつないできたDNAが今のアルミ鋳鍛造事業に受け継がれていると思っている」

――80年前に操業した旧名古屋工場とはどのような工場だったのですか。

「1937年に操業した旧名古屋工場は、門司工場からマグネシウム鋳物事業を、神戸工場からアルミ鍛造事業を移管して事業をスタートした。戦前の旧名古屋工場の規模は巨大で、名古屋工場閉鎖当時の6万5千平方メートルの何倍もあったといい、従業員も1万人が働いていたと聞く。当時は零戦をはじめとした戦闘機の部品を製造していたが、敗戦とともに戦闘機部品の製造がストップしたため事業が立ち行かず、土地の切り売りなどで規模が縮小したようだ」

――戦後はどのような事業展開だったのでしょうか。

「戦後すぐは鋳物で鍋や釜などを造り急場をしのいでいたようだ。しかし、徐々に取引先である国内重工メーカーが航空機分野を強化していったことで、われわれも現在にも続く航空機部品の製造を再開していった。60年代に入ってからはダイカスト事業に進出し二輪部品や農工具部材も製造したが、これは70年代に撤退した」

「また自動車関連では、60年代後半から鋳造によるアルミホイールの生産を開始した。当時は今のようにアルミホイールは標準で装着されておらず、国内自動車メーカー向けに最盛期には月間5万本以上生産し、事業売上高の3分の1を占めるまでに成長した。〝ウィンダム〟という自社ブランドも生産し販売していたと聞いている。ただこの事業も旧名古屋工場が抱えていた物流の問題もあり競争力が上向かず、一部を除き生産を縮小することとなった」

――1992年には旧名古屋工場から大安工場への移転が決定しましたがその背景は。

「旧名古屋工場は敷地が6万5千平方メートルしかなく手狭であった上に、その敷地もメイン工場と加工場、出荷場が公道で分割されていた。先ほど挙げたアルミホイールを例に出せば、『鋳造したアルミホイールを信号の向こうにある機械加工工場で加工して、塗装を外注先までピストン輸送する』という具合で、物流やレイアウトは全く非効率であった。業容拡大や物流面の効率化、競争力の強化を念頭に移転した」

――大安工場への移転当時の藤井常務はどういう分野にいたのですか。

「大安工場を建設する直前に旧名古屋工場に導入した6300トンメカニカル鍛造プレスをはじめとするプレス設備の移設に携わっていた。鍛造プレスを移設する際は、設備を解体して現地で再度組み立てるのが一般的で、この作業には大体3カ月程度かかる。休止期間の製品は事前に造り貯めする必要があるが、旧名古屋工場は近隣の住宅化で夜間・早朝の稼働が許されず造り貯めできなかった。それを打開すべく既存設備の移設ではなく、同じ規模のプレスを大安工場に新設することを提案し、実行したのは懐かしい思い出」

技術・ノウハウの継承、大安工場の成長加速目指す

――大安工場に移転してから今年で25年になります。

「今から思えば移転後の最初の10年間は、柱の1つだったアルミホイール事業の規模縮小などもあり損益はそれほど良いとはいえなかった。しかしながら、現在の事業の柱である自動車用アルミサスペンション部材、航空機部材、IT産業向け部材などが徐々に軌道に乗ったことで損益は順調に回復してきた。現在は(1)メカニカル鍛造事業(2)油圧鍛造事業(3)砂型鋳造事業(4)機械加工事業―の4つの事業を主軸に規模の拡大を目指している」

――これから一段の成長を目指す上で、4事業の課題や展望は。

「主力事業のメカニカル鍛造事業では、大安工場はマザー工場として設計や金型製作、試作開発を進め、需要地である米国や中国での顧客開拓をサポートする役割が高まるだろう。米国はトランプ政権が誕生して先行きの不透明感は増しているものの、自動車の軽量化が減速することはないだろう。フル稼働が続いている米国拠点では現在プレス機2基を増強中で17年春から秋口にかけて順次稼働を始める計画だ。中国について当社が強みを持つ大型材市場が停滞しているが、早期に3号ラインを入れられるように拡販に努めていく」

「油圧鍛造は、国内外の旅客機や輸送機に対する部材供給を推進していく。そのためには、ワールドワイドで競合にコストで打ち勝つ必要があるため競争力の強化に努めていく。また高速車両や各種製造装置、自動車や船舶用の鍛造部品なども拡販の視野に入れていく」

「砂型鋳造は航空機のエンジン部材への取り組みが必要。われわれのような高精度製品を供給できるのは世界でも4~5社しか存在しない。積極的に欧米への顧客開拓を進めていきたい」

「機械加工事業としては航空機向け鍛造品、鋳造品の加工からさらに表面処理まで手掛けたいと考えており、そのための調査を進めている。どういう要求があるのかを調べつつ、将来的には設備導入による事業化まで視野に入れて取り組んでいきたい。また中国で需要が拡大している液晶製造装置部品への対応を加速させていく」

――最後に、次の10年、20年に向けて期待したいことは。

「大安工場に移転した当時には思いもしなかった海外展開が、今では大きな事業の柱とっている。それは喜ばしいことだが、一方で相対的に見ると大安工場の成長スピードが遅れていると思っている。事業全体を伸ばしていくためには、やはり大安工場も成長していかないといけない20年のスパンで見れば、さまざまな需要分野が考えられる。建屋を拡張する余地はまだ十分にあるが、既存事業を拡大していきながら新規事業の芽を育て、アルミ鋳鍛造事業が100年を迎えるときには大安工場のスペースが足りなくなっているようなことを期待したい」

「たとえば砂型鋳造は、いまだに機械ではなく〝人がモノを造る〟産業で、複雑な形状の砂型はまさに芸術品。こうした技術を失うことなく技術継承を確実に実行し、更にその技術を磨き上げて神戸製鋼所の企業価値を高めていってほしい」

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