「ボウイは美しさを追求する人」 立川直樹

 昨年1月に亡くなったイギリスのアーティスト、デヴィッド・ボウイの50年間にわたる創作活動を衣装や写真・映像など300点以上のアイテムで振り返る大回顧展「DAVID BOWIE is」が好評だ。音楽やファッション、パフォーマンスなど、世界を驚かせたボウイの思考をたどることができると、会場の東京・天王洲にある寺田倉庫G1ビルには連日多くの人が来場。色あせない輝きを放ち、現在もファンを魅了し続けている。4月9日まで。◆ 映画、美術、舞台など幅広いジャンルで活躍するプロデューサーの立川直樹(68)は取材者として友人として、生のボウイに触れた1人。1973年、オロンセイ号に乗って横浜港にやってきた“異星人”を見たとき、「待っていた人が来た」と感じた。

 天王洲の展示会場に飾られている、「出火吐暴威」と漢字で書かれた真っ白なマントは山本寛斎がデザインしたもの。初来日公演では、せり上がり舞台装置で登場した後、歌舞伎の引き抜きの技法を使い、衣装を早変えし、観客の度肝を抜いた。音楽、アート、ファッション。これまでにない発想は表現者たちを驚かせた。

 立川は、音楽誌のライターとしてボウイを取材したのが縁の始まりだった。好きな絵画や音楽の話をして意気投合。以来、来日時には夜の街に繰り出すなど、行動を共にした。

 「六本木にあるクラブのレセプションに行こうと誘ったことがあってね。車の中で吸っていたチェスターフィールドのたばこを到着する前に、両手で(短く)ちぎったの。何でそんなことするんだろうって思って聞いたら、『この長さでくわえているときが、1番かっこよく見えるんだ』って。かっこいいなぁと思ったよね。自分が1番魅力的に見える角度はどこか、持っているビジュアルイメージが完璧だった。驚いたよ」と逸話を語った。

 幼いころから日本が好きだったボウイ。その美意識を高めたものの中には、女形役者の坂東玉三郎との出会いもあった。

 「群れをなさない。自分の信念をしっかり持っていて、自分がどう振る舞えば人の目を引くのか、常に考えていた」。玉三郎さんと重なる部分も多いと立川はいう。

 「孤高と感じる人もいたかもしれないけれど、ステージを降りると周囲に自然に溶け込む人間味のある人だった。無名でも気に入れば応援をするし、有名でも気に入らなければ仕事を断っていた。真のアーティストだった」と振り返る。

 「余命が長くないと知った後もじたばたせず、自らの死と向き合っていた」 遺作アルバム「★(ブラックスター)は、亡くなる2日前に発売された。

 「自分の死をも作品にしてしまった。スターは死ぬのではなく、姿を消してしまうだけ」とさみしそうに空を見つめた。◆ 立川は26日、ボウイを撮り続けた写真家、鋤田正義と東京銀座で行うトークショー「DAVID BOWIE is 〜プレミアム・トークショー〜」に出演する。

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