アレックスとマニー 2人の“ラミレス”の運命を分けた日米の野球観の違い

「あれ、“ラミちゃん”と違うの?」一昨日の高知市野球場のスタンドでは、こんな声が聞かれた。「ラミレス来たる!」と聞いて、人気者の“ラミちゃん”が来ると勘違いした人も、少数ながらいたのだ。

アレックス・ラミレス(右)とマニー・ラミレス(左)【写真:荒川祐史、広尾晃】

日本でおなじみ“ラミちゃん”とMLBスーパースターの“マニー”

「あれ、“ラミちゃん”と違うの?」

 一昨日の高知市野球場のスタンドでは、こんな声が聞かれた。「ラミレス来たる!」と聞いて、人気者の“ラミちゃん”が来ると勘違いした人も、少数ながらいたのだ。

”ラミちゃん”ことアレックス・ラミレスは、横浜DeNAベイスターズの現監督。昨年はチームを球団創設5年目で初のポストシーズンに進出させ、高い評価を得た。その“ラミチャン”が、高知にいるわけがない。

 高知ファイティングドッグスに来たのは、メジャー通算555本塁打の記録を持つマニー・ラミレスだ。球団側も混同を避けるためか、登録名を「マニー」にした。

 一昨日、レフト前に初安打を放ったマニーは、一塁ベースに到達すると、例の「ゲッツ」のようなポーズをした。試合後、報道陣から「一塁でのあのポーズはどういう意味があったのか?」という質問が飛んだが、マニーは答えなかった。マニーがラミちゃんお得意のポーズを知っていたか、真相は謎だ。

 アレックス・ラミレスとマニー・ラミレス。2人はそもそも国籍が違う。

“ラミちゃん”ことアレクサンダー・ラモン・ラミレスは、1974年10月3日、ベネズエラのカラカスで生まれ。一方、マニーことマヌエル・アリスティデス・ラミレス・オネルシーダは、1972年5月30日、ドミニカ共和国サントドミンゴで生まれた。

 日本では“ラミちゃん”が圧倒的な知名度を誇るが、アメリカでは“マニー”を知らない野球ファンはいない。アメリカでの“ラミちゃん”は、よほどの野球通でない限り知らないだろう。「ラミレス」は中南米で非常に多い姓のため、2人はたまたま同姓だが、縁もゆかりもないのだ。

 と、言いたいところだが、実は2人はかつてチームメイトだったことがある。

インディアンスでチームメイトだった2人、その後の人生は大きく変わる

 アレックス・ラミレスは、1993年にクリーブランド・インディアンス傘下のルーキーリーグでキャリアをスタートさせた。6年かけて這い上がり、1998年9月19日のカンザスシティ・ロイヤルス戦に途中出場。23歳で迎えたメジャーデビュー戦に「4番・右翼」で先発出場していたのがマニーだった。この時は26歳だったが、すでにメジャー6年目のキャリアを誇り、この年には45本塁打を放つなどリーグ屈指の強打者になっている。

 アレックスは以後2年、マイナーと行き来しながら控え外野手や代打として出場。2000年7月にピッツバーグ・パイレーツにトレードされ、FAとなったそのオフに日本の東京ヤクルト・スワローズへ移籍した。

 一方、マニーは1999年には44本塁打、165打点という驚異的な数字を記録し、その後はボストン・レッドソックス、ロサンゼルス・ドジャースなどで活躍。メジャー通算555本塁打を打つ大打者になった。

 当時のアレックスにとって、マニーは仰ぎ見るような存在だったに違いない。

 2人には「右打ちの外野手、守備があまり得意ではなく、打撃専門」という共通点がある。

 しかし、決定的に違っているのは「出塁率」、そして出塁率から打率を引いた数値「IsoD(四死球による出塁率)」だ。打者の選球眼を量る指標で、一般に0.100を超えると優秀だと言われる。2人の成績を比べてみると、アレックスのメジャー通算出塁率は.293(打率.259)、IsoDは.034、マニーは出塁率.411(打率.312)、IsoDは.099。IsoD、つまり選球眼の良さでは、実に3倍の差がついている。

 MLBでは、セイバーメトリクスという新しい記録の概念が浸透している。セイバーメトリクスでは「安打と四球は同じ価値」だと考え、安打を打つだけでなく、四球を選ぶ打者、選球眼の良い打者を高く評価する。マニーは強打者であるだけでなく、抜群の選球眼を誇り、強打者としてMLBに君臨した。しかし、アレックスは早打ちで四球が少なかったために評価されることなく、MLBを去ったのだ。

出塁率を重視するメジャー、早打ちを積極性と捉える日本

 それでもアレックスは日本で成功した。NPB史上初の外国人選手2000本安打達成、2度のMVP受賞などの大活躍は記憶に新しい。しかし、打撃スタイルを変えたわけではない。アレックスのNPBでの出塁率は.336、打率は.301だから、IsoDは.035となるが、これは2000本安打を打った47選手の中でも最下位。だが、日本では初球から打ちにいく打者は「積極性がある」と評価される。他の打撃成績が良ければ、出塁率が低くても問題視されないのだ。

 こういった日米の「野球観」の違いが、2人のラミレスの野球人生を大きく変えたと言えるだろう。

 マニーは打者としては高く評価されたが、奔放な性格もあってトラブルメーカーだった。2009年にはドーピング検査で陽性反応を示し、50試合の出場停止処分になっている。2011年を最後にメジャーではプレーしていないが、2014年まで台湾やマイナーリーグでプレー。その後2年は試合出場はなかったが、今年日本の独立リーグにやってきた。

 アレックスは外国人初の2000本安打を記録した後、2014年に引退を発表。独立リーグの指導者を経て2016年から横浜DeNAベイスターズの監督に就任した。人懐こい性格、人望もあり、NPBの野球を吸収し、指導者としても評価を得ている。

 現在、高知ファイティングドッグスに所属するマニーは、独立リーグでプレーしながらNPBへの移籍を希望していると言われる。マニーが好成績を残した時、横浜DeNAのラミレス監督は、かつての「雲の上の存在」をチームに招き入れることを検討するだろうか?

広尾晃●文 text by Koh Hiroo

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