記憶継ぐ母子像披露 町田米軍機墜落53年で追悼集会

 米軍機が東京都町田市原町田に墜落し、4人が死亡、32人が重軽傷を負った事故から53年を迎えた5日、追悼集会が同市の市民フォーラムで開かれた。事故の風化を防ぎたいとの思いが込められた母子像が披露された。米軍機が上空を飛び交う状況は以前と変わらず、参加者は記憶の継承を胸に節目の日を迎えた。

 披露されたのは高さ約1・6メートルの母子像。墜落機の尾翼の上に立って右足を出して踏ん張っている母親と、母親に抱えられ後ろを向く子どもが表現されている。集会の主催者でもある町田、相模原両市の住民らでつくる「町田の米軍機墜落事件・平和像建立実行委員会」が寄付を集めて建立を目指しているブロンズ像の原型という。

 制作しているのは元中学校美術教師、日比野知三さん(80)=八王子市。「過去を忘れてはいけない、力強く前に踏み出そうとの思いを母子の姿を通して表した」と力を込める。

 集会には約30人が参加。ブロンズ像は完成間近となり、町田市役所などの公共施設に設置を要望していることなどが報告された。その後、事故現場に移動し、参加者で犠牲者の冥福を祈って黙とうした。

 米軍機が関わる事故は後を絶たず、県基地対策課によると1952年から2014年にかけて県内では墜落や部品落下などの米軍機事故が225件起きた。

 53年前の事故で知人を亡くした同実行委共同代表、小川政則さん(84)=相模原市南区=は「いつどこで誰が亡くなってもおかしくない。事故を風化させてはいけない」と語った。

 ◆町田米軍機墜落事故 1964年、在日米空軍嘉手納基地を飛び立ち、在日米海軍厚木基地(大和市、綾瀬市)に向かっていた偵察機のうち1機が故障により、東京都町田市原町田の商店街に墜落した。現在、事故現場は駐車場になっている。

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