前田健太、平田良介、辻内崇伸…名手たちが繰り広げた大阪・新旧覇者の死闘

3月29日、PL学園高校硬式野球部は、大阪府高野連に脱退届を提出し、受理された。

PL学園から大阪桐蔭へ―、新旧覇者の転換点となった2004年の死闘

 3月29日、PL学園高校硬式野球部は、大阪府高野連に脱退届を提出し、受理された。

 学校創立2年目の1956年に創設された硬式野球部。甲子園での96勝(30敗・春48勝17敗、夏48勝13敗)は中京大中京の133勝(46敗・春55勝26敗、夏78勝20敗)に続く2位。春夏合わせて優勝7回も、中京大中京の11回に続き、松山商とならぶ2位タイだ。

 PL学園が初めて甲子園に出場したのは1962年のセンバツ大会だった。以後、2009年までの47年間で春夏合わせて37回も甲子園の土を踏んだ。

 昭和の時代、大阪府には「私学7強」と言われる強豪私立高校が並び立っていた。興國高校、明星高校、浪商高校(現大阪体育大浪商高校)、北陽高校(関西大北陽高校)、近畿大附属高校、大鉄高校(現阪南大高校)、PL学園高校の7校だ。

 ともに甲子園で活躍し、有名なプロ野球選手を輩出している。PL学園以外の6校は戦前に創立され、長い歴史を持っていたが、PL学園は戦後生まれた新興勢力。並みいる先輩強豪校を追い上げて、にわかに強豪の一角となったのだ。

 そんなPL学園の前に立ちはだかったのは、明星高校。1963年夏の優勝校だ。明星は夏の甲子園の予選である大阪府大会で何度もPL学園と当たった。

1963年決勝 PL学園●1-4明星 明星は甲子園で優勝
1964年決勝 PL学園●0-9明星 
1967年決勝 PL学園●1-11明星
1969年準決勝 PL学園●1-6明星
1972年準々決勝 PL学園●2-9明星

PL学園から大阪桐蔭へ、記憶に新しい2日に及ぶ死闘

 まさに明星高校は「目の上のこぶ」、当時のPL学園の山下玄彦監督は「打倒明星」をスローガンに選手を鍛え上げた。その甲斐あって、1973年準決勝でPL学園は10-0で明星を初めて破った。以後、明星には負けていない。

 そして、1978年には好投手・西田真二(のち広島)を擁して甲子園初優勝。1983-85年には桑田、清原のKKコンビで、優勝、準優勝各2回、1987年には春夏連覇を達成する。

 以後、PL学園は甲子園での優勝はなくなったが、それでも高校屈指の強豪として、甲子園で存在感を示し続けた。

 このPL学園の背中を追いかけて台頭してきたのが大阪桐蔭高校だ。1983年、大阪産業大高校大東校舎として設立され1988年に大阪桐蔭高校と改称。PL学園よりもはるかに歴史が浅い高校だ。野球部も1988年創部。夏の予選、大阪府大会でのPL学園との対戦成績は

1994年4回戦 大阪桐蔭●1-4PL学園
1996年準決勝 大阪桐蔭●6-7PL学園
1997年準決勝 大阪桐蔭〇10-9PL学園
2003年5回戦 大阪桐蔭●6-8PL学園

 1997年の準決勝では、打撃戦の末に大阪桐蔭がPL学園を破る金星を挙げたが、大阪桐蔭にとってPL学園は甲子園に向けて立ちはだかる最大の壁だった。

 そして2004年、両校は大阪府大会の決勝戦で、2日間にわたる死闘を繰り広げるのだ。

 この年、PL学園は1回戦泉尾を8-0、2回戦藤井寺工を10-0、3回戦鳳を8-0、4回戦渋谷を5-4、5回戦履正社を6-4、準々決勝大体大浪商を9-6、準決勝大商大堺を18-10で下して決勝に進出。大阪桐蔭は、この年春のセンバツに出場。夏は、1回戦能勢を11-0、2回戦寝屋川を12-1、3回戦金光大阪を9-6、4回戦池島を6-0、5回戦大阪産大附属を9-5、準々決勝大阪学院大高を9-2、準決勝北陽を6-3で下して決勝に進出した。シードのない大阪府大会で、ともに7連勝で勝ち上がってきた。

大阪桐蔭は辻内崇伸が先発

 PL学園は、準決勝の大商大堺戦では0-8から盛り返し、8回裏には一挙12点を奪って大逆転。爆発的な打線が売りだった。大阪桐蔭は2年生エース辻内崇伸の快投が光った。

 7月31日、大阪、藤井寺球場で決勝が始まる。

 大阪桐蔭の先発は2年生辻内、PL学園は3年生中村圭。大阪桐蔭は1回に1点先取。PL学園はその裏に1点を返すが、大阪桐蔭は2回に3点。しかしPLはその後じりじりと追加点を入れ、8回に4-4の同点。そのまま延長戦に入るも決着がつかず、延長15回引き分け再試合となった。

大阪桐蔭 130 000 000 000 000|4
PL学園  100 010 020 000 000|4

 試合時間4時間9分、PL学園の中村圭は15回を投げ抜いた。214球。大阪桐蔭は3投手の継投だった。

 地方大会決勝戦での引き分け再試合は史上3度目、大阪府ではもちろん初。すでに全国48代表が決まり、大阪府が最後の1校。全国の注目が大阪に集まった。

 折しも「球界再編騒動」が起こり、近鉄バファローズの合併が決まる。本拠地藤井寺球場は大阪の高校野球のメッカでもあった。来年、球場はどうなるのか、関西の野球ファンはその藤井寺球場で球史に残る死闘が行われていることに運命のようなものを感じていた。

 8月1日に藤井寺球場で行われた再試合は打撃戦になる。

第2戦で先発したPL学園の前田健太

PL学園  104 210 131 |13
大阪桐蔭 002 004 001 |7

 PL学園は、前日15回を投げ抜いたエース中村圭をマウンドに上げず、1年生の前田健太に勝負を託す。4か月前に高校生になったばかりの前田は、先輩中村の「お前が全部投げろ」という言葉を肝に銘じて大阪桐蔭打線に立ち向かった。

 大阪桐蔭は3年生エース岩田雄大を温存していた。しかしPL学園は3回、3番神戸宏基が右中間に流し打ちで3ランを打つなど、徹底的な流し打ち戦法で岩田を攻略した。

 守っては前田が点を失いながらも内角を強気に攻めて完投。大阪桐蔭打線を振り切った。特に大阪桐蔭の4番、超高校級と言われた2年生の平田良介を1安打1打点に抑えたのが大きかった。

 PL学園はこの死闘の疲れがあったか甲子園では1回戦で日大三高に敗退する。以後も2006年、2009年に甲子園に出場している。

 一方、大阪桐蔭はこの戦いの後、2017年春までに13回甲子園に出場。夏3回、春2回、甲子園で優勝している。

 歴史に残る大阪府大会の引き分け再試合を戦った球児の内、大阪桐蔭の1年生投手、辻内崇伸は巨人に1位指名されるがすでに引退。2年生のスラッガー平田良介は、中日の主軸打者として今年のWBCで侍ジャパンに選ばれた。またPL学園の1年生エース前田健太は広島を経て、ロサンゼルス・ドジャースで活躍している。

 まだ「歴史」というには新しすぎる名勝負だが、大阪の覇権はこういう形で移行した。そして今春、大阪桐蔭と履正社という大阪府の高校同士で「頂上決戦」が行われた。全国屈指の野球王国大阪府では、濃密なドラマが今も繰り広げられているのだ。

広尾晃●文 text by Koh Hiroo

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