覚醒のソフトB上林、伝説“170M弾” 高校からずば抜けていた「飛ばす力」

ソフトバンクの上林誠知外野手が、鮮烈な活躍を見せている。2日の西武戦で2本塁打を放つと、3日の同戦で満塁弾、5日のロッテ戦では試合を決める放物線を描いた。6、7日も安打を重ね、好調を続けている。

恩師の仙台育英・佐々木監督らが語る上林の秘話

 ソフトバンクの上林誠知外野手が、鮮烈な活躍を見せている。2日の西武戦で2本塁打を放つと、3日の同戦で満塁弾、5日のロッテ戦では試合を決める放物線を描いた。6、7日も安打を重ね、好調を続けている。

 4年目の今季、1軍で結果を残す教え子の活躍を、母校・仙台育英(宮城)の佐々木順一朗監督も喜ぶ。上林が大仕事をやってのけた3日、仙台育英は自校グラウンドの「真勝園」で山形中央(山形)と練習試合を行っていた。2試合目を終えて監督室に戻った佐々木監督の元に、朗報が飛び込んだ。「昨日の今日ですごい。最初、ホームランを打ったと聞いて、知っているよと思ったら、今日もだった」と笑った。そして、「今、打っている映像を見てもいい感覚だなと思う。バットを振り回す感じじゃない」と、教え子の活躍に目を細めた。

 2年目の2015年8月25日。上林のプロ初本塁打は、3日と同じ逆転満塁弾だった。この鮮烈な“デビュー”もあり、3年目の昨季は大きな期待をかけられたが、結果で応えることはできなかった。もがいてもがいて、もがいた。しかし、長いトンネルは抜け出せなかった。シーズンオフにすべてリセットし、挑んだ今季。キャンプ、オープン戦と、3年目と同じ轍は踏まなかった。そして、4年目で初の開幕1軍入り。スタメンも勝ち取った。

 今年はキャンプ時から長打力に注目が集まった。オープン戦では、北九州市民球場で逆方向の左翼席へ3ランを運び、横浜スタジアムでは右翼ポール際の「鳩サブレー」の看板を直撃する特大本塁打を放った。このオフの間に体重が増えたことは事実だ。それによって飛距離が伸びたという説もうなずける。ただ、「飛ばす」ことに関しては、高校時代からずば抜けていた。

 上林本人が「自分はホームランバッターじゃない」というように、確かにそのタイプではないかもしれない。高校通算本塁打も23本。それでも、数に残らないパワーが上林にはあった。佐々木監督は「高校の時から、バットを振り切らずに捉えて遠くに飛ばす能力は長けていた」と話す。

 母校・仙台育英のグラウンド「真勝園」は広い。両翼は100メートルで中堅は125メートルもある。この大きな球場でも、練習や練習試合で柵越えを打つ高校生はいる。ロッテ・田村龍弘捕手も光星学院(青森・現八戸学院光星)2年秋にレフト後方の防球ネットを越える場外弾を飛ばしている。しかし、フリー打撃中ではあるが、上林は中堅125メートルの先にある高さ10メートル以上のバックスクリーンを越す打球を放っていた。20年以上の指導歴を誇る佐々木監督は「歴代で上林だけ」という。また、右翼後方には道路を挟んで、仙台育英学園の秀光中等教育学校(以下、秀光中)軟式野球部などが使用するグラウンドや部室があるのだが、そこに打球が飛び込むこともあった。

 当時、秀光中2年だった仙台育英・西巻賢二主将(3年)は「打球が来ることを知らせる笛が鳴ると、誠知さんの打球が飛んできていました」と、当時の様子を振り返る。

「あの時は、特にすごいなとは思っていなくて、やっぱり高校生は違うなぁ、というくらいでした。それが、高校になって、このグラウンドで練習してみると、誰もあそこまでは飛ばないので、すごいことだったんだと思います。(ロッテの平沢)大河さんもすごいですが、あそこまでは飛んでいませんでしたし、ここは風も強いですからね」

高校時代に最も飛んだ部室直撃弾、推定飛距離は170メートル!?

 仙台育英OBで秀光中軟式野球部の須江航監督も「上林がバッティング練習をしている時はいつも飛んできていて、危ないなって言っていましたね。うちが練習していると、『お!? 来た、来た、来た!』って。ここまで飛ばなくても、道路にはよく打球が落ちていて、佐々木先生(監督)には何かあったら危ないですよと言っていたんですよ」と証言する。

 一体、何メートル飛ばしていたのか。須江監督が「測ってみましょう」とメジャーを出し、計測してくれた。その結果、最も飛んだ、部室直撃弾は驚くことに160メートルを優に超えていた。信じがたいが、地図上でも確認してみると170メートル近い飛距離が計算された。

 打撃練習中に軽く振ったバットで捉えた打球の飛距離もすごいが、試合では印象的なホームランを重ねてきた。2年秋には、岐阜国体準決勝の最終打席で本塁打を放つと、東北大会でも勝負どころで2試合連続本塁打、明治神宮大会では満塁でアーチをかけた。

 3年春にはこんなこともあった。センバツ大会前、仙台育英は沖縄で合宿を行い、糸満と練習試合をした。この時、上林は本塁打を放っているが、糸満の上原忠監督(現沖縄水産監督)や選手たちも思わず拍手を送る打球だった。「相手チームからもそう思われるのはすごいなと思った。カウント3-2から粘った後だったし、バックスクリーンを越えていくのはあり得ないからね」と、佐々木監督も驚くしかなかった。相手の上原監督も「見たことがない。150メートルはいっている」と目を丸くしていたという。

 夏の宮城大会決勝でも勝負強さを発揮した。初回に5点を失うという苦しい展開だったが、2点を追う8回、上林はKスタ宮城(現Koboパーク宮城)の右翼席に1点差に迫るソロ本塁打を放った。9回に押し出し四球でサヨナラ勝ちを収めるが、チームメイトに勇気を与えて士気を高めた、大逆転劇を演出する一発だった。

 高校時代から悪い結果を気にする節はあるが、どんなにいい結果が出ても、浮ついたことはない。常に地に足がついている。佐々木監督はこう話す。

「上林は元々、すごいんだけどね。高校に入ってきた時からボールの待ち方、見逃し方がよく、センター中心にライナー性の当たりが多かった。ルーティンもしっかりしていて、それは今も変わっていないね(笑)。そして、謙虚だから、1年生から試合で使っても周りから文句は出なかった。上林の学年は東日本大震災直後に遅れて入学式が行われ、ゴールデンウィーク明けからプレハブ教室で高校生活が始まったけど、そんな状況でも上林だけは淡々としていて偉いなと思ったね。周りに左右されないから大人だなと見えた」

佐々木監督が贈るエール「勝利のうた」

 野球の技術や精神は、周りより大人びて映った。1年秋から4番を打ち、結果も出してきた。そして、周囲の度肝を抜く打球を打ってきた。特に高校3年のちょうど今頃、左足首付近を痛めた影響で全体練習に参加できず、室内練習場にある約5メートルのロープを上り下りするといったトレーニングで全身を鍛え直してから、劇的に「飛ばす」力は飛躍したと言われている。

 プロでは2、3軍で打席を多く経験。ソフトバンク・内川聖一外野手、広島・鈴木誠也外野手らと行う自主トレで1年のスタートを切り、一流の感覚に触れ、技術を吸収している。年々、体つきが変化し、プロで戦う体力と技量のレベルも上がってきた。特にボールの見極め方、バットの扱い方は昨年までと異なる。挫折を味わいながらもプロで3年の経験を積み、高校時代から優れていた技術や精神は今、“プロ仕様”に変化しつつある。そして、よくも悪くも結果にとらわれなくなった思考が好調を支えている。

「今、上林は必死だと思う。少し結果が出てきたら、段々、視野を広げていってほしい。こう守るべきだなとか、チームに対してこういう感覚になっていきたいなとか。試合の流れや配球を読んだりして、どういうバッティングをしようかなと、一呼吸を置いた余裕がもっと出てくると安定していくんじゃないかな。試合に出たい、出たいと思っていたところから、早く脱皮してほしいなと思う。そのための第一歩を踏み出したのかな。ヒーローインビューを聞いても、コメントに余裕が見えるようになったので、それが嬉しいね」

 佐々木監督がそう話し終えた頃、仙台育英の監督室のテレビでは、巨人対横浜DeNAの試合が始まっていた。3日は同校OBの巨人・橋本到外野手が「2番・右翼」でスタメン出場。3回に適時打を放った。佐々木監督は「いいじゃないか、仙台育英。上林もいいし、地味だけど平沢も3日連続でヒットを打っているからね」とニンマリ。橋本の打席に注視しつつ、佐々木監督はお気に入りの詩「勝利のうた」について話し始めた。

「勝利のうた」
 人生という野球では 集中力はシングルヒットだ
 知性がセカンドへ進めてくれる
 サードへ行くのは決断力だ
 だが ホームに戻ってくるには努力が必要だ 

「僕が仙台育英の選手たちに伝えたいのは“勝利のうた”なんだよね。人生に通じるなと本当に思っている。誰にだって、たまにはいいことがある。それがシングルヒット。ただ、次に進むためにはちょっと考えないといけない。そして、決断しないといけない時がある。でも、みんな忘れていくんだよね、うまくいくと。最終的には努力が必要なんだけどね。そんな感覚で、努力してよかったと思ってほしいかな」

 ゴールデンウィークに輝きを放った上林。これから、周囲の期待も膨らむばかりだ。だが、まだ5月が始まったばかりで32試合を消化しただけ。シーズンは長い。ここから真価を問われる教え子へ、恩師からのエールだ。

高橋昌江●文 text by Masae Takahashi

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