秦基博、10年の歩み込め熱唱 ハマスタで記念ライブ

 横浜育ちのシンガー・ソングライター、秦基博(36)が4日、横浜スタジアムでデビュー10周年記念公演を行った。

 開演時刻に響いたサイレン。6基の照明灯が一斉に輝き、バックスクリーンにバンドメンバーの名が映し出されていく。うぐいす嬢が「4番ピッチャー…」と読み上げ、ざわつく会場。「失礼しました。ボーカル・ギター、秦基博」と声が掛かると、背番号10の横浜DeNAベイスターズのユニホームを着た秦が、手を振って登場した。会場をゆっくりと見渡し、一音、一音かみしめるように演奏を開始。頬をくすぐるハマ風に、音符が躍った。

 「いつかここでライブをしたい」。横浜中華街にあるライブハウスに通った10代のころ。JR関内駅を降り、横浜公園を通り抜けながらスタジアムを見上げて思っていた。

 秦もファンも待ちに待った節目の日。思い出を分かち合えるよう曲中にサインしたTシャツ入りカプセルをバズーカ砲で発射するなど、用意した仕掛けで観客を喜ばせた。

 バンドとともにお祭りを盛り上げた1部では、リリーフカーに乗り球場をぐるり。ダンスをレクチャーし「スミレ」を熱唱した。弦楽八重奏を加え、アコースティックを中心にした2部では、デビュー曲「シンクロ」をボサノバアレンジで披露。ギター音や、ギターのボディーをたたいた音、コーラスなど短いフレーズを録音し再生しながら、いま生み出したばかりの音を重ねた演奏では、楽曲が持つ世界を無限に広げた。

 「10年間、たくさんの歌を作り、歌ってきた。中でも一番多くの人に歌ってもらった」と話した「ひまわりの約束」を観客と合唱。舞台左右に延びたスタンド席に、プロジェクションマッピングで投影したヒマワリの花が揺れた。

 横浜市内の小学校に通っていた時は、リトルリーグに所属。卒業文集に「プロ野球選手になる」と書き、ハマスタに立つことを夢見ていた。

 「その数カ月後に(野球を)やめた。恥ずかしい思い出」と吐露。その頃の思いを記した「月に向かって打て」をここで歌いたいと熱い思いをぶつけた。

 〈いつかはね 僕も主役にきっとなれるはず〉 高く昇った月が、この日のヒーローを祝福するように輝いていた。

 ステージでは、小学校4年生の時に遠足で出向いた山下公園でのスナップも公開。赤い運動帽をかぶり、氷川丸の前で笑顔を見せる少年に大きな拍手が寄せられた。

 「10年間音楽をやっていたおかげでたくさんの人と隣り合うことができて、自分自身も想像ができないつながりをたくさんもらいました」。ここにいる人の存在を感じたい。携帯のライトを付けてという呼びかけに2万5千人が応じた。3時間半のライブの最後に演奏したのは、出会った人とのつながりの中で、いまの自分があると思いを込めた「70億のピース」。

 「言葉がしみる」(50代会社員男性)、「毎日に潤いを与えてくれる」(40代主婦)、「この先の10年もずっと先も歌っていて」(30代会社員女性)。歌声に励まされた人の思いが、満天の星空のように瞬き、秦を照らしていた。

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