「村上春樹を読む」(68) 免色渉とジェイ・ギャツビー 『騎士団長殺し』を読む・その3

「みみずくは黄昏に飛び立つ-川上未映子訊く 村上春樹語る-」(新潮社)

 川上未映子さんの村上春樹へのロングインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2017年4月)を読みました。以前、この「村上春樹を読む」でも柴田元幸さん責任編集の雑誌「MONKEY」第7巻に『職業としての小説家』(2015年)の発売記念の川上さんによる村上春樹インタビュー「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」の素晴らしさを紹介したことがあります。

 納得するまで、いろいろな角度から質問を重ねていく、川上さんのインタビューアーぶりが素敵でしたし、インタビューイーとして、質問から逃げない村上春樹の答えぶり、その追及に、これまで話したことのないような形で、作品などのことを話す村上春樹の答えぶりも印象的でした。

 ▽どのインタビューアーとも違う質問

 『みみずくは黄昏に飛びたつ』は、その「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」と、語りおろしの「地下二階で起きていること」「眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」「たとえ紙がなくなっても、人は語り継ぐ」という3つのインタビューを合わせたものです。「語りおろし」の部分は、新作長編『騎士団長殺し』(2017年2月)についてのインタビューです。

 この本の「インタビューを終えて」という「あとがき」で「彼女はこれまで僕が会ったどのインタビューアーとも違う種類の質問を、正面からまっすぐぶっつけてきた」と村上春樹が書いているほどのインタビューなので、それについて紹介したいことはたくさんあります。

 それらの興味深い部分は、この連載コラムの中で書いていきたいと思いますが、今回は『騎士団長殺し』に登場する「免色渉」という人物について、『騎士団長殺し』とスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』についての部分を書いてみたいと思います。

 わたし(小山)は『騎士団長殺し』の中で「免色渉」という変わった名前の人物をとても面白く読みました。前々回の「村上春樹を読む」の「ブーメランのように旋回する物語 『騎士団長殺し』を読む・その1」の中でも、その「免色渉」が発した「交流」という言葉、つまり「お互いの一部を交換し合うということです」「私は私の何かを差し出し、あなたはあなたの何かを差し出す」という考えが、「私」にわたり、妹コミのことにつながり、また「秋川まりえ」にわたって、再び「免色渉」のもとにかえってくるように『騎士団長殺し』という物語が書かれていることを述べました。

 ▽免色を中心に動いて

 その「免色渉」について、村上春樹は「この小説を改めて考えてみると、話は免色を中心に動いてるんじゃないかという気がしてくるんです。ふと」と、この『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で語っています。

 「悪意と善意、熱意と諦観、内に向かう孤独と外に向かう求め、豊富と渇望、そういったものの区別が、彼の中ではっきりつかめないところがある。だから、僕も免色さんを書いていて、とても面白かったですね。興味深かったというか。この人は一体どういう人なのか、僕にも最初は見当がつかなかった」と村上春樹は語っています。「この小説の主人公ではない」「でもこの話にとっては大切なキャラクターですね」とも話しているのです。

 その「免色渉」は、小田原の山の中にある一軒家に暮らすようになった「私」のところから見える白いコンクリートの大きな家に住んでいますが、かつてIT関係の会社を経営していて、それを大手の通信会社に売却して引退しています。今は、一日数時間、書斎のインターネットを使って株式と為替を道楽のように動かすぐらいで、生活はこれまでの蓄えでまかなえるという謎の人物です。

 ▽『グレート・ギャツビー』

 その謎の資産家は、村上春樹が大好きな『グレート・ギャツビー』の「ギャツビー」に似ています。『騎士団長殺し』と『グレート・ギャツビー』の関係は多く方が指摘されていますが、この『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中の第3章「眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というインタビューの冒頭部分でも、川上さんの「今日は、まず『ギャツビー』との関係から聞かせてください。地形や家の描写、免色さんの造形や、『私』との距離、関係性…ニック・キャラウェイとジェイ・ギャツビーとの関係を思い起こさせます。それは当然、意識されて?」という質問に対して、「もちろん、それは始めから意識しています」と村上春樹は端的に答えています。

 「谷間を隔てて向こう側を眺めるというのは、『ギャツビー』の道具立てをほとんどそのまま借用してるし、それから免色さんの造形も、ジェイ・ギャツビーのキャラクターがある程度入っています」と村上春樹は語っているのです。

 ▽銀色のジャガー

 「免色渉」は自分の娘の可能性が高い13歳の「秋川まりえ」が住む家の見える場所の土地を買って住んでいますし、ギャツビーも、湾を挟んで、向かいに好きなデイジーの家が見える場所に家があります。

 『騎士団長殺し』にも『グレート・ギャツビー』にも、たくさん自動車が出てきますし、自動車の修理工も両作に出てきます。免色渉はいつもは銀色のジャガーのスポーツ・クーペに乗っていますが、その銀色は『グレート・ギャツビー』にも何回も出てきます。例えば、ギャツビーは「銀色のシャツに、金色のネクタイ」姿で登場したりしますし、デイジーは「純銀のきらめきを放つ」人です。

 だから「『私』という一人称の語り手がある程度、『グレート・ギャツビー』の語り手であるニック・キャラウェイのようなポジションになるであろうことは、当然意識していました」と村上春樹は語っています。

 村上春樹訳『グレート・ギャツビー』の「訳者あとがき」に、もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本をあげろ」と言われたら、考えるまでもなく、『グレート・ギャツビー』とドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』だが、「どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ」と村上春樹は書いています。

 ▽自分の骨骼の一部

 『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中でも「『ギャツビー』という小説はもう、自分の骨骼の一部みたいになっています」と村上春樹が語るほどの小説なのです。

 そのギャツビーと重なる人物が、免色渉なのです。免色渉には、謎がたくさんありますが、物語上、『騎士団長殺し』と『グレート・ギャツビー』に頻出するもので、重要なものに「雨」があるのではないかと、わたし(小山)は考えています。「雨」の頻出ぶりについては、『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で論じられていませんが、この「村上春樹を読む」では両作に降り続く、その雨について、少し考えてみたいと思います。

 『グレート・ギャツビー』で、デイジーがギャツビーの家に来る日も激しい雨になりました。大きなオープンカーに乗ったデイジーが到着して、微笑みを浮かべて「あなた、ほんとうにこのおうちに住んでいるわけ?」と言います。その「彼女の声のさわやかなさざ波が、雨の中のあらゆるものを狂おしく活気づけた」と村上春樹は訳しています。

 少し前でのほうがよかったかもしれませんが、『騎士団長殺し』について、簡単にそのストーリーを紹介しておくと、肖像画家で、36歳の「私」は、ある日、妻から別れ話を告げられて家を出ます。新潟、東北、北海道、そして太平洋側の東北を車で移動した後、友人の父で著名な日本画家・雨田具彦が使っていた小田原郊外の家に住み始めます。その家の屋根裏から雨田具彦が描いた日本画「騎士団長殺し」を見つけるところから動きだしていくという物語です。

 雨田具彦が関わったナチス・ドイツによるオーストリア併合や、雨田具彦の弟・雨田継彦が関わった南京大虐殺と呼ばれる戦争中の出来事が重なって進んでいく話ですし、それを語る「私」の美大時代からの友人・雨田政彦も登場しますので、作中「雨田」「雨田」「雨田」という名前が頻出します。そして実際の『騎士団長殺し』も、作中に「雨」がひじょうに多い小説となっています。この「雨」についても『グレート・ギャツビー』と響き合った小説なのだと思います。

 ▽書き留めていた冒頭

 『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で、村上春樹が明かしていますが、『騎士団長殺し』の第1章冒頭の文章は「既にどこかの時点で書いていたんです。これという目的もなく、そういう文章を書き留めていた」のだそうです。こういうコラムでは、少し長いかも知れませんが、その冒頭部分を紹介してみましょう。

 「その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいだい晴れていた。海から南西の風が吹いてくるせいだ。その風が運んできた湿った雲が谷間に入って、山の斜面を上がっていくときに雨を降らせるのだ。家はちょうどその境界線あたりに建っていたので、家の表側は晴れているのに、裏庭では強い雨が降ってということもしばしばあった。最初のうちはずいぶん不思議な気がしたが、やがて慣れてむしろ当たり前のことになってしまった。

 まわりの山には低く切れ切れに雲がかかった。風が吹くとそんな雲の切れ端が、過去から迷い込んできた魂のように、失われた記憶を求めてふらふらと山肌を漂った。細かい雪のように見える真っ白な雨が、音もなく風に舞うこともあった。だいたいいつも風が吹いているせいで、エアコンがなくてもほぼ快適に夏を過ごすことができた」

 という文章です。この「一節がパソコンの片隅にペーストしてあった。『その年の五月から』みたいな見出しをつけて。僕はそういう文章をよく、何の脈略もなく書くんです。ただ書いてとっておく」と村上春樹は、川上さんに話しています。

 2千枚、計1千ページを超える『騎士団長殺し』の第1章「もし表面が曇っているようであれば」は、そのように書き出されています。そして、この冒頭の一節の中で「雨」という言葉は4回も記されているのです。

 ▽頻出する「雨」

 この「雨」は、どんなものでしょうか。

 『海辺のカフカ』(2002年)の最後に「僕」が新幹線に乗って、東京の現実世界に戻る時、こんな「雨」が記されていました。

 「名古屋を過ぎたあたりから雨が降り始める。僕は暗い窓ガラスに線を描いていく雨粒を眺める。そういえば東京を出るときにも雨は降っていたなと思う。僕はいろんな場所に降る雨のことを思う。森の中に降る雨や、海の上に降る雨や、高速道路の上に降る雨や、図書館の上に降る雨や、世界の縁に降る雨のことを」

 これも「雨」に満ちていますね。

 『騎士団長殺し』の長い物語の最後にも「私は貯水池の広い水面に降りしきる雨を眺めているときのような、どこまでもひっそりとした気持ちになることができる。私の心の中で、その雨が降り止むことはない」という文章が書かれています。

 これは、たぶん村上春樹の第2作『1973年のピンボール』(1980年)に出てくる雨に関係した場面でしょう。日曜日の細かい雨が朝から降り続く日に、「僕」は双子の女の子と貯水池まで配電盤のお葬式に出かけます。祈りの後、雨の貯水池に配電盤を力いっぱい放り投げて、「僕たち三人は犬のようにぐしょぬれになったまま、よりそって貯水池を眺めつづけた」と『1973年のピンボール』にあります。

 『国境の南、太陽の西』(1992年)の最後も忘れ難い「雨」の文章です。

 「僕はその暗闇の中で、海に降る雨のことを思った。広大な海に、誰に知られることもなく密やかに降る雨のことを思った。雨は音もなく海面を叩き、それは魚たちにさえ知られることはなかった。

 誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はそんな海のことを考えていた」

 と同作の最後は結ばれています。

 このように、村上春樹作品には「雨」が頻出しているのです。

 ▽「私」の再生

 『ノルウェイの森』(1987年)も「雨」の場面がかなりある作品ですが、今回の『騎士団長殺し』のように「雨田」家の人たちが何人も出てきて、全編に「雨」が降っているのは初めてではないかと思います。

 「私」が免色渉に依頼されて、肖像画を描きます。「とにかく自分の描きたいように描いてみよう(免色もそうすることを求めている)」と思って、「プランもなく目的もなく、自分の中に自然に浮かび上がってくるアイデアをただそのまま追いかけて」いって、その絵を正面から眺めると「これが正しい色だ、と私は思った」と書かれています。

 「雨に濡れた雑木林のもたらす緑色。自分自身に向かって、何度か小さく肯きさえした。それは絵に関して、私がずいぶん久しぶりに感じることができた確信(のようなもの)だった」と村上春樹は記しています。

 これは、画家としての「私」の再生です。その再生を記す場面にも「雨に濡れた雑木林のもたらす緑色」が関係しているのです。

 ですから、これらの「雨」は、村上春樹にとって、再生への象徴ではないだろうかと、わたし(小山)は考えています。「雨」は生物が生存・成育できる基本的条件です。植物に水を与え、動物の渇きをうるおし、水は土にしみこみ、地下水となり、また川となり、それは海にそそいでいます。

 「どんな池にも必ず魚はいるさ」という配電盤のお葬式後の「僕」の発言が、『1973年のピンボール』に書かれていますが、川や池や海の魚は、食べ物としてわれわれに生命の力を与え、再生への力を与えてくれるのです。

 その原点が、「雨」です。大きな再生へ、深い思いが込められた『騎士団長殺し』の全編を降り続く「雨」なのだろうと、わたし(小山)は思っています。

 ▽私は左利きです

 やはり、「雨」が大切な場面で降る『グレート・ギャツビー』のことを「もちろん、それは始めから意識」して『騎士団長殺し』を書いたと村上春樹は川上さんに語っているわけですが、その言葉からすると「免色渉」がジェイ・ギャツビーということですね。

 この「免色渉」が、「私」の家に来て、ふと思い出したように「ちなみに私は左利きです」と言います。さらに「何かの役に立つかどうかわかりませんが、それも私という人間に関する情報のひとつになるかもしれない。右か左かどちらかに行けと言われたら、いつも左をとるようにしています。それが習慣になっています」と話しています。

 『騎士団長殺し』では、「私」が地底のような闇の中を行く、とてもいい場面があります。すべてが観念(イデア)と比喩(メタファー)にすぎないような、その世界で「私」が「無と有の狭間を流れて」いる川の渡しの舟を見つけるため、「免色さんの無意識の教示」に従い、川を正面にして「左」に進んでいくのです。

 地底の川というものはこの世に降る「雨」が集まったものです。それは再生の力を秘めて流れ続けているものです。その川の渡しの舟を見つけるために、「私」は「免色渉」の教えに従って、川を正面にして「左」に進んでいくのです。この選択によって、川をわたることが「私」はできました。

 それは紹介したように「免色渉」が「左利き」だったからですが、なぜ「免色渉」は「左利き」なのでしょう。

 ▽ロバート・レッドフォード?

 もしかしたら、『グレート・ギャツビー』の映画『華麗なるギャツビー』でジェイ・ギャツビー役を演じたロバート・レッドフォードが左利きだったからではないでしょうか。もしそうだとしたら、地底を行く「私」の方向を導いているのも『グレート・ギャツビー』だということになるのですが…。

 この「免色渉」については、まだまだ記したいことがあります。でも既にかなりの長さとなってしまいました。次のコラム「村上春樹を読む」以降に、また考えてみたいと思います。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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