「雅子斃れず」の原稿寄贈

 長崎で被爆した体験を当時14歳の少女がつづった手記「雅子斃(たお)れず」(1949年)の著者柳川(旧姓石田)雅子さん(86)が6日、東京都内の自宅で、長崎原爆資料館に直筆原稿を寄贈した。長崎を代表する原爆関連作品「長崎の鐘」「原子雲の下に生きて」などと並ぶ貴重な手記として知られ、柳川さんは「平和の大切さや戦争のむごさ、理不尽さを考えるきっかけにしてもらいたい」と願っている。

 柳川さんは東京生まれ。父の転勤で45年4月、県立長崎高等女学校へ転校。学徒動員され、爆心地から1・4キロの三菱長崎兵器製作所大橋工場(現長崎大文教キャンパス)で被爆した。

 45年10月、兄が作っていた家族新聞に載せるため病床で被爆直後の惨状をつづり始め、「雅子斃れず」になる。当初、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で発禁処分となったが、父らが署名運動をするなど尽力。ようやく刊行されると大きな反響を呼び、故永井隆博士も絶賛したという。

 寄贈は「自分の意思で物事を判断できる時に、きちんと形にしておきたい」と思ったのがきっかけ。知人だった被爆者で芥川賞作家の林京子さんが2月に亡くなった際、長崎原爆資料館の中村明俊館長が新聞に寄せた追悼文を読み感銘を受け、同館に寄贈することを決めたという。

 6日は中村館長らが柳川さんの自宅を訪れ、直筆原稿や関連資料を受け取った。中村館長は「大変貴重な原爆資料。大切にさせていただきます」と礼を述べた。今後、展示方法などを検討する。

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