恩師も驚嘆する探究心 173cmでHR量産する吉田正尚、驚異長打力のルーツ

昨シーズン、オリックスの新人選手で31年ぶりとなる2桁10本塁打を放った吉田正尚外野手。腰椎椎間板症で出場は63試合にとどまったが、シーズン終盤に本塁打を量産。オフには台湾で行われていたアジア・ウインターリーグに参加し、打率、安打、本塁打の3冠で最優秀打者に選出。持ち味のフルスイングでファンを魅了した。

オリックス・吉田正尚【写真:荒川祐史】

復帰戦で2安打2打点、さらなる飛躍期待される23歳

 昨シーズン、オリックスの新人選手で31年ぶりとなる2桁10本塁打を放った吉田正尚外野手。腰椎椎間板症で出場は63試合にとどまったが、シーズン終盤に本塁打を量産。オフには台湾で行われていたアジア・ウインターリーグに参加し、打率、安打、本塁打の3冠で最優秀打者に選出。持ち味のフルスイングでファンを魅了した。

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 今季は腰痛の再発で開幕1軍を逃したが、今月9日に1軍に初合流すると同日のロッテ戦でいきなり2安打2打点と活躍した。今後、さらなる飛躍が期待される23歳の若き大砲はどのような思いを秘めてバットを振り続けているのか――。プロ人生にかける思いや、フルスイングの秘密などを聞いた。

 3歳上の兄の影響で幼少期からバットを持って遊んでいたという吉田。野球を始めた小学校1年生の時からすでに遠くに飛ばすことを1番に考えていたという。

「ボールを遠くに飛ばすのが楽しかったです。父に頼んで連れて行ってもらったバッティングセンターに、オレンジ色の線と白い色の線があって、白い線まではなかなか飛ばせなかった。その線を越えた時は、本当に嬉しかったですね。今でもよく覚えています」

 子どもの頃の練習相手は父親だったと吉田は回想する。

「『ボールを投げて』と頼んで、ティーバッティングも付き合ってもらっていました。がみがみ言うこともなく、一緒に練習してくれましたね」

 豪快なスイングは福井県の強豪、敦賀気比高時代から目を見張るものがあった。当時、青学大のスカウトを担当していた小野平氏の目に留まり、東都の伝統校に進学。プロ入りを目指していた吉田は、重いバットや長いバットなど、さまざまな種類のバットを使って練習していたという。さらにはバランスボールの上に乗ってスイングをするなど、独自の練習方法を取り入れ、その探究心は青学大の善波厚司監督を驚かせた。

「当時は東都を代表するバッターになって、プロに行きたいと思っていました。練習方法はインターネットで調べていましたね。動画を見て、いいと思ったら試していました。今は、調べれば簡単にいろいろな情報が出てきますから」

ドラ1でプロ入り後も「プレッシャーは感じなかった」

 ただ、強いプロ志向を秘める中で、大学3年の秋の入れ替え戦で降格が決まり、勝負のドラフトイヤーを2部で戦うことになってしまった。吉田は当時について「正直、がっかりしましたね。大事な年に神宮でプレー出来ないのは、素直に辛かったです。でも、やれることをやるしかない。チームを1部に上げて、最後の秋に1部でプレーできるように、そこを目指して切り替えました」と振り返る。

 2部降格が決まった年のオフには、ウエイトトレーニングを強化。この期間で体重を3キロ増やした。「レベルアップするためにやりました。見てくれる人は見てくれると思って、自らを奮い立たせました」。

 4年春には、28回ユニバーシアード競技大会の大学日本代表に選出され、茂木栄五郎(早大、現楽天)、高山俊(明大、現阪神)選手らと共にプレー。この時の経験が、プロ入りへの意識をさらに強くさせたという。

「プロでやりたいという選手が集まっているところで、自分を試せる機会があってよかったです。体力、練習に対する準備など『自分はまだまだ足りないな』と実感しました。いろいろ考えさせられた時間でしたね」

 チームに戻ってからは、勝負強さとプレーでの安定感が増したと善波監督も振り返る。精神的な成長も認められ、2015年のドラフトでオリックスから1位指名を受けて入団。しかし、ルーキーイヤーは腰椎椎間板症により、63試合の出場にとどまった。

「プロのプレッシャーは感じなかったですね。ただ、準備不足で『大丈夫かな』という不安は常にありました。でも、不安があるから頑張れるし、練習も意識を高く持ってできる。満足せずにやっています。シーズンに入ってからの流れは経験しましたが、1年間通して出場できていないので、今後は1年間通してしっかり戦えるようになりたいです」

東京五輪への想いも吐露、「年齢的にもチャンスがある」

 オフに参加したウインターリーグでは、試合がナイターの時は午前中にプールに入って体を動かした。「少ない時間の中でどういう練習をしたらいいか」を考え、ここでもさまざまな方法を試した。

「練習も考え方もいろいろ変えながらやっています。『自分がやっていいと思ったことは最後までやる』。ずっとこの方法でやってきました。プロになっても、それだけは変えずにやっていきたいと思います」

 今年3月には第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での侍ジャパンの戦いぶりを見て「この場面では自分だったらどうするかな」と、自分に置き換えながら見ていたという。そんな23歳のスラッガーは2020年の東京五輪での代表入りにも想いを馳せる。

「自分も大学で日本代表に選んでもらい、なんとなく日の丸を背負うイメージはあります。『緊張するだろうな』と思って見ていました。その場に立った人しかできない経験をしていて、羨ましいとも思います。東京五輪は、年齢的にもチャンスがあると思う。野球人として、当然その舞台に立ちたいと思います」

 大学日本代表でプレーした当時も「選ばれた以上は、やることはしっかりやってきた」。だからこそ、日の丸を背負う心構えは出来ている。

「選手の代表でもあり、国の代表でもある。結果は出ないこともあります。それでも、ベンチ内でのコミュニケーションなど、チームのためにできることがある。代表としてどういう振る舞いができるかが大切だと思います」

 幼少期から遠くに飛ばすことに楽しさを覚え、フルスイングを続けてきた吉田。今では自身が理想とするスイングをすることが本塁打への近道と話す。

「自分のスイングができないように、バッテリーは工夫してくると思います。それでも対応できるバッティングを目指して、頑張りたいと思います」

 173センチと決して大きくはないが、内に秘めるパワーは多くのファンの目を引き付ける。現在、4位につけるオリックス。持ち前の向上心で、フルスイングに磨きをかける吉田の活躍が、チーム浮上のカギを握る。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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