8・9翌日の実相 鮮明

 長崎に原爆が投下された翌日の惨状を撮影した旧陸軍カメラマン、故山端庸介氏の生誕100年を記念した写真展が2日、長崎市興善町の市立図書館多目的ホールで始まり、来場者は被爆の実相を切り取った50枚の写真パネルに見入っていた。7日まで。入場無料。

 山端氏は6日で生誕100年。1945年8月10日未明に長崎へ入り、約14時間をかけて120枚以上の写真を撮った。写真展は長崎原爆資料館などが主催。長崎平和推進協会の写真資料調査部会が今年1月から展示パネルの準備を進め、写真にキャプションを付けたり、長崎での山端氏の足取りを記した地図を作ったりした。

 パネルには爆心地付近で焼死した黒焦げの少年や炊き出しのおにぎりを持つ親子らが写っているほか、がれきが積み上がった道や焼け野原が鮮明に見てとれる。

 会場を訪れた長崎市弥生町の山川勝美さん(83)は45年8月10日、疎開先の外海を出発し、父義春さんが勤務していた三菱長崎製鋼所第一工場(爆心地から1・2キロ、現在の茂里町)へ向かった。父は崩れ落ちた鉄骨の下敷きになったが、そのおかげで熱線を避けることができ、奇跡的に右足を骨折する程度のけがで済んだという。

 遠くに第一工場が見える爆心地付近の写真には、山川さんが父に会うため歩いた道が写っていた。山川さんは「実際は道の両脇に死体が転がっていて、がれきの山から白い煙が立っていた。写真を見ると、道を歩いた時の不安や空虚感みたいなものを思い出す。破壊された工場にいた父が助かったのは不幸中の幸いだと改めて感じた」と話した。

© 株式会社長崎新聞社