日本人メジャーリーガーのパイオニアとして、偉大な実績を残した野茂英雄氏。MLB足かけ12シーズンで323試合に登板し、123勝109敗、防御率4.24をマーク。1年目の1995年シーズンを含む2度のリーグ最多奪三振、両リーグでのノーヒットノーラン達成など、いくつもの偉業を達成した。
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日本人のメジャー移籍への道を切り拓いた野茂氏
日本人メジャーリーガーのパイオニアとして、偉大な実績を残した野茂英雄氏。MLB足かけ12シーズンで323試合に登板し、123勝109敗、防御率4.24をマーク。1年目の1995年シーズンを含む2度のリーグ最多奪三振、両リーグでのノーヒットノーラン達成など、いくつもの偉業を達成した。
1990年台後半から多くの日本人選手がメジャーリーグを舞台にプレーするようになったが、野茂氏がいなければ、その活躍はなかったかもしれない。ニュージャージー州最大のニュースサイト「NJ.com」は、1990年代のメジャーリーグのトピックスを振り返る特集記事を掲載。「ヒデオ・ノモのデビュー」も「最大級の出来事」の1つとして取り上げている。
記事では、「1947年にはジャッキー・ロビンソンをメジャー初のアフリカ系アメリカ人選手にさせ壁を壊したドジャースが、1995年に日本のスーパースター投手、ヒデオ・ノモと契約してそれを再現した」と紹介。メジャー初の有色人種であるジャッキー・ロビンソンと同様に、野茂氏の存在は歴史上で重要なものだったと位置づけている。
「ノモはイチロー、マツイ、マツザカらに扉を開いた」
日本人初のメジャーリーガーといえば、1964年にジャイアンツでデビューした村上雅則氏。特集ではそのことにも触れつつ、「ノモは95年に新人王を勝ち取ると、13年(実際には14年)とどまり、2回のノーヒッターを含むオールスターのキャリアを残した」と紹介。長年米国でプレーし、実績を残した野茂氏の功績の大きさを称えた。
そして、最後に「ノモはイチロー・スズキ、ヒデキ・マツイ、ダイスケ・マツザカといった数々の日本人移籍の成功への扉を開いた」と言及。野茂氏が道を切り拓き、イチロー外野手や松井秀喜氏らの活躍につながったと伝えている。
トルネード投法から繰り出される直球とフォークでメジャーの強打者をねじ伏せ、三振を量産するピッチングスタイルは、日本人だけではなく、米国のファンも熱狂させた。前年からのストライキで低迷していたメジャーリーグ人気を取り戻す上でも大きな役割を果たしたことから、米球界でも“救世主”と呼ばれた野茂氏。その功績は色褪せることはない。(Full-Count編集部)