東京ヴェルディのオファーむなしくJリーグでのプレーは叶わなかったフランチェスコ・トッティ。彼の20年以上に渡る現役生活の軌跡を写真と一言コメントを添えて振り返って行こう。
1993年3月のブレシア戦でトップチーム・デビュー。僅か16歳のことだった。子供のころの英雄は”プリンチペ”と呼ばれたジュゼッペ・ジャンニーニ。彼は“王子”を引き継ぎ、そして偉大なキャリアを築いていく。
1995年イタリアU-21代表にて
上列左からジャンルイージ・ブッフォン、マッシモ・アンブロジーニ、フランチェスコ・ココ、アレッサンドロ・ネスタ、ヨナタン・ビノット、マルコ・ザンキ
下段左からファブリツィオ・カンマラータ、フランチェスコ・トッティ、ロベルト・バローニオ、ミルコ・サドッティ、ステーファノ・フィオーレ
ほぼ全員がセリエAで活躍し、その後3分の2以上がイタリア代表に選ばれたというドリームチームだった。
1997年より指揮をとったズデニェク・ゼーマン監督のローマでは3トップの超攻撃的サッカーを展開しており、左ウイング兼キャプテンとして才能を開花させる。
当時は白いヘアバンドを巻いて試合に臨むことも多かった。
1998年のワールドカップ以降イタリア代表の主力へと成長したフランチェスコ・トッティ。
EURO2000決勝では、55分、マルコ・デルヴェッキオ(写真右)のゴールでイタリア代表はフランス代表相手に先制するが…。
2000年、『Gazzetta dello Sport』内でのポートレートより。
“プリンチペ”と呼ばれ、確固たる地位を確立する。
ファビオ・カペッロ監督の元、3-4-1-2のトップ下としてプレー。2000-01シーズンにはローマにスクデットをもたらす。
日本でも中田英寿とのポジション争い、ガブリエル・バティストゥータ、カフー、ヴィンチェンツォ・モンテッラ、エメルソン、マルコ・デルヴェッキオら同僚にも注目が集まった。
当時の同僚のうちモンテッラやディ・フランチェスコらは後に敵将として立ちふさがることとなる。
2002年、日韓ワールドカップでは決勝トーナメント1回戦の韓国戦でシミュレーションをとられ退場となる。
イタリア代表は韓国代表FWアン・ジョンファンのゴールデンゴールにて敗退。後にトッティのレッドカードは誤審ではないか?と話題になりFIFAもこれを認めた。
EURO2004でもグループステージでデンマーク代表MFクリスティアン・ポウルセンに唾をはきかけ3試合の出場停止と良いところなく終わる。写真はそのためにスタジアム観戦をしている時のものだ。
当時、現役時代で最も髪が長く、後ろで縛り低めのポニーテールのような髪型をしていた。
ちなみに同年日本でも著書『トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話』が発売される。
2006年のワールドカップを制したイタリア代表。2002年、2004年のリベンジといったところだろうか。
2005-06シーズンの怪我で参加を危ぶまれたトッティだが驚異的な回復を見せ見事メンバー入りを果たした。
優勝セレモニーで、トッティはイタリア国旗をスカーフのように顔に巻き付け、トロフィーの前に茶目っ気たっぷりの表情を見せた。
同2006年、このころよりトレードマークだった長髪から短髪へとイメージチェンジしている。また、長女が生まれている。
また、ルチアーノ・スパレッティ監督の下で0トップ、偽9番という新システムが採用され大きな話題を生んだ。
2006-07シーズンにはセリエA得点王に初めて輝いている。
2008年、チャリティーマッチでディエゴ・マラドーナと共に記念写真を撮影。
1月のコッパ・イタリア、トリノ戦でキャリア通算200ゴールを打ち立てる。
2010年11月のユヴェントス戦でPKを決める。1-1の引き分けとなった試合でリーグ戦初ゴールとちょっと遅いスタートとなった。
トッティといえばかつては「おしゃぶり」パフォーマンスが有名であったがバリエーションは多い。この試合では「しーっ」であった。
2011年、セリエA通算208ゴールをあげて。ロゼッラ・センシ(2008-2011年にローマ会長)と共に。
センシ氏は会長時代はトッティへのビッグクラブからのオファーを拒み、職を離れてからもトッティのことを擁護するなど厚い信頼関係にあった。
2013年、インテル戦でゴールを決めてチームメイトに祝福を受ける。
同年3月のジェノア戦にてセリエA通算225得点を記録する。これは、グンナー・ノルダールに並ぶ歴代2位の記録。
2014年9月、チャンピオンズリーグのマンチェスター・シティ戦にてゴール。大会史上最年長ゴール記録を更新した。
後にCSKAモスクワ戦でもゴールをあげ38歳59日に記録をさらに塗り替えている。
しかし、この立ち姿、絵になる男である…。
2015年、ローマダービーにて見せたパフォーマンスは何と自撮り。このスマホ、得点後にスタッフから受け取った本人のもので1週間前から考えていたという。
このゴールで、トッティはローマダービーでの通算得点が11になり、歴代単独トップとなった。
2017年5月28日ジェノア戦、フランチェスコ・トッティのローマでの最後の試合となった。
現役生活お疲れ様!