堂々の1軍デビュー鷹3年目左腕・笠谷 衝撃を受けた“師匠”和田の助言とは

またしても、ソフトバンクに楽しみな存在が現れた。22日の西武戦前のヤフオクドームのグラウンドには、笠谷俊介投手の姿があった。3年目を迎えた20歳の左腕。この日プロ入り後初めてとなる1軍昇格を果たし、チームへと合流。「アップの時は緊張がやばかったです。流れが分からないので…」。初めての1軍。右も左も分からない中で、初々しさ全開で先輩たちの後を追いかけた。

ソフトバンク・笠谷俊介【写真:藤浦一都】

笠谷の野球人生を変えた和田への“弟子入り

 またしても、ソフトバンクに楽しみな存在が現れた。22日の西武戦前のヤフオクドームのグラウンドには、笠谷俊介投手の姿があった。3年目を迎えた20歳の左腕。この日プロ入り後初めてとなる1軍昇格を果たし、チームへと合流。「アップの時は緊張がやばかったです。流れが分からないので…」。初めての1軍。右も左も分からない中で、初々しさ全開で先輩たちの後を追いかけた。

 翌23日の西武戦で早速デビューの舞台が巡ってきた。9点リードの8回から、プロ初の1軍のマウンドへ。先頭の炭谷からプロ初奪三振となる空振り三振を奪うと、2イニングを無安打無失点、3つの三振を奪う好投を見せた。ゲームセットの瞬間をマウンド上で迎え、勝利のハイタッチも初体験。お立ち台にも立ち、この日のウイニングボールも手に入れた。

 勝負の終盤戦で、初の1軍切符を掴み、上々のデビューを果たした笠谷俊介。一体、どんな選手なのだろうか。

 笠谷は、2014年のドラフト4位で大分商業高からソフトバンクに入団した左腕。今季、先発ローテの一角に入った松本裕樹や、シーズン半ばに、こちらも初の1軍を掴んだ栗原陵矢捕手などが同期入団である。

 プロ3年目。ここまでは怪我に泣かされ続け、苦難の連続だった。1年目のキャンプが終わった後に左肘に痛みが出て、リハビリ組へ。シーズン終盤にようやく復帰したが、2年目の昨季も春先に左肘を痛めた。シーズンのほとんどをリハビリ組で過ごした。今季も左肘を痛めてリハビリ組へと逆戻りとなり、2軍戦に登板できたのは6月になってからだった。

「人の意見だったり、教えに対して、あまり聞かない感じだったんですけど、今は1度取り入れてみてから、次の行動に移ってみるようになりました」という笠谷の野球人生を大きく変えたのは、1月に行った和田毅との自主トレだった。

当初は杉内俊哉そっくりのフォームも「真似はやめました」

 昨年12月。ファーム本拠地「HAKWS ベースボールパーク筑後」でトレーニングを行なっていた和田に、弟子入りを志願した。全く話したこともない球界の大先輩。「5日間くらい、いつ声をかけようかと思っていました」。ロッカールームで意を決して、和田に願い出た。その時が「初めての会話でした」。

「和田さんの自主トレは凄いという噂は聞いていたんです。凄い練習はキツイけど、凄く身になるよ、と。同じ左投手ですし、お手本になる人となれば、やっぱり和田さんかな、と」

 志願して実現した和田の自主トレは質、量ともに想像を超えていた。「とにかく練習の量がきっちりされていました」。必死に16歳年上の大先輩の後を追い、アドバイスに耳を傾けた。

 その自主トレ期間中に、和田から授かった言葉は強烈だった。

「3万回同じ行動を繰り返さないと、体は覚えないよ。脳はそういう風に出来ているから」

 衝撃を覚えた。「3万回ですよ? でも、それくらい練習しないと、いい投手にはなれないんだなと思いました。あれだけ野球をされている方ですし、それくらいはやっていると思いますね。練習を見ていても本当に凄いので」と、その時の様子を振り返り、「1月の自主トレが僕にとって1番のきっかけになっています」と話す。日々のなんていうことのない練習に対しても、取り組む姿勢が変わったという。

 入団当初は、かつてソフトバンクに在籍した巨人・杉内俊哉投手を真似たフォームだった。本当にソックリだった。だが、3年経って、その時の面影は薄れつつある。「杉内さんの真似はやめました。自分には自分のフォームがあるので」。度重なる故障もあり“モノマネ”はやめた。和田の言葉に耳を傾け、野球人生で初めて、教えやトレーニング方法を書き留めるノートも作った。

1軍昇格を和田に報告、師匠からの激励の言葉

 かつて、相次いで痛めた左肘は「肘の靭帯が緩いのと過伸展が原因でした。腕で投げていて、変化球も思い切り腕をひねって投げていたので」と振り返る。和田との自主トレも経て「体全体で投げるようになりました。昔は体で投げることを知らなかった」。今季も、左肘を痛めたが、「今は不安はありません」という。

 6月に2軍戦に復帰してから、2軍では目を見張る成績を残してきた。ウエスタン・リーグでは11試合、13回1/3を投げて、4失点の防御率1.35。21個の三振を奪っており、奪三振率に換算すると「14.175」と驚異の数字。ストレートは常時140キロ台中盤を記録し、最速は149キロにまでなった。

 1軍昇格が決まると、すぐさま和田へ報告。「むっちゃ緊張して、むっちゃ力んで、むっちゃ楽しめ」と激励の言葉をもらった。「どういうこと?って思いましたけど(笑)。頑張ろうと思いました」というが、デビュー戦を終えた後には「和田さんが言っていた通りになったと思いました」。

「とりあえずアピールですね。自分のいいところを出せるように。いま真っ直ぐが1番いいと思うので、そこをアピールしていきたいです」と意気込んでいた笠谷。デビュー戦の最速は145キロだったが、1軍の打者からも3つの三振を奪った。またしてもソフトバンクに、将来性豊かな、楽しみな若手が出現した。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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