被爆者・谷口稜曄さん死去

 長崎原爆で焼けただれた自身の「赤い背中」の写真を掲げて核兵器廃絶を訴え、日本の被爆者運動をリードした日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員で、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)会長の谷口稜曄(すみてる)氏が30日午前3時45分、十二指腸乳頭部がんのため長崎市内の病院で死去した。88歳。福岡市出身。自宅は長崎市大鳥町15の33。通夜は31日午後7時から、葬儀・告別式は9月1日午後1時から、いずれも同市光町16の18、平安社長崎斎場で。喪主は長男英夫(ひでお)氏。

 郵便局員だった16歳の時、長崎の爆心地から1・8キロの住吉町で、自転車に乗って配達中に被爆。熱線で背中に大やけどを負い生死をさまよい、激痛と苦しみのあまり「殺してくれ」と叫んだ。うつぶせのまま過ごした1年9カ月を含め、入院生活は3年7カ月に及び、奇跡的に一命を取り留めた。その後、被爆者運動の立ち上げに加わり長崎被災協には1956年の発足時から参加、2006年から会長を務めた。10年には被団協の代表委員に就任。08年度から8月9日に長崎市長が読み上げる長崎平和宣言の起草委員を務めていた。

 被爆地を訪れる修学旅行生に被爆体験を精力的に語ったほか、核兵器の恐ろしさを世界に知ってもらうため海外に25回渡航。大やけどを負った背中の写真を掲げ核廃絶を訴えた。10年には米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ渡米し、非政府組織(NGO)セッションで各国代表らに被爆体験を証言した。

 被爆70年を迎えた15年8月9日の平和祈念式典では被爆者代表として2回目の「平和への誓い」を読み上げ、多くの命を奪った核兵器と戦争への怒りをあらわにしたほか、安全保障関連法の成立を図る日本政府を批判した。

 一方、近年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。核兵器を法的に禁止する核兵器禁止条約の採択を歓迎する今年7月の集会では、病床からビデオメッセージを送り「核兵器の非人道性を知る被爆者がいなくなった時にどんな世界になるのかが一番心配だ。被爆者が頑張らなければいけない」と呼び掛けた。

 15年には核廃絶を世界に訴えた功績で、NGOの平和団体からノーベル平和賞候補に推薦された。

 


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