消えた中学の丸刈り校則

 中学時代、男子生徒の頭髪は校則で「丸刈り」と決められていた。私の母校が特殊なのではなく、県内、特に郡部ではそれが主流だった。小学校まで長髪だったので、中学校の入学式の前日、泣く泣く断髪した苦い思い出がある。あれから30年。丸刈りの中学生を見掛けなくなった。あの忌まわしき丸刈り校則はいつ消えたのか。

 丸刈り校則は現存しているのか。各教育委員会に尋ねてみた。

 「もともと少なかったが、今はゼロ」(長崎市教委)「以前はあったが平成に入ったぐらいになくなった」(島原市教委)「ある時期から数年のうちになくなった気がする」(対馬市教委)...。

 各校で丸刈り校則が撤廃されたのはずいぶん前の話のようで、どこに聞いても廃止の経緯や時期は判然としなかった。少なくとも、現時点で丸刈りを強制している学校はなかった。

 大村市教委の担当者は廃止の経緯を覚えていて、「市立玖島中の生徒会が1998年に『頭髪憲章』をつくり、丸刈り校則を廃止したのが市内では初。同時に男子生徒の制帽も自由化された。時代の流れだった」と教えてくれた。

 壱岐市教委にも記録が残っており、同市内では旧武生水(むしょうず)中が99年に廃止。2011年、市立中10校が4校に統廃合された際、残っていた学校でもすべて自由化された。壱岐市の学校は、県内で最も遅くまで丸刈り校則が残っていた部類に入ると思われる。

 「『校則』の研究」(坂本秀夫著)によると、丸刈りは戦時中、軍国主義とともに学校教育に取り入れられ、校内暴力が社会問題化した1970年代、丸刈り校則を定める学校が増加。80年代には全国の中学校の3分の1に上った。93年、赤松良子文部相(当時)が「丸刈りは兵隊を思い出しぞっとする」と発言。頭髪自由化の流れが加速した。

 浦野東洋一(とよかず)・元帝京大教育学部長は「制服は脱げばいいが、丸刈りはそうはいかない。学校以外でもずっと校則に縛られる。丸刈りを強制する合理的な理由などなく、学生が声を上げても、廃止までに時間を要したのは学校や地域の人権意識がまだ成熟していなかったからだ」と話す。

 丸刈りの上の部分だけを平らにしたり、ばれない程度に茶色に染めたり。中学時代、ささやかな抵抗を試みた。仲間たちの多くが長髪という名の「自由」を渇望していた。生徒総会でも毎年、丸刈り校則廃止は議題に上がったが、学校や保護者に「丸刈りの方がスポーツマンらしい」「清潔感がある」と反対され、願いはかなわなかった。

 わが母校である五島市立福江中に問い合わせたところ、生徒たちが「頭髪憲章」を定め、丸刈り校則が廃止されたのは2001年。時代の流れも加勢したのだろう。でも「変えよう」という強い意志を持ち、晴れて「自由」を手に入れた後輩たちを、いまさらながらうらやましく思うのだ。

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