「ビビッて投げていた」社会人野球で快挙の右腕 ノーノー導いた指揮官の言葉

今年7月に行われた第88回都市対抗野球大会で、完全試合を含め史上5人目となるノーヒットノーランを達成した日本通運の阿部良亮投手と木南了捕手のバッテリー。偉業を成し遂げた右腕は、「自分でも出来るとは思わなかった」と驚きを隠せない。

第88回都市対抗野球大会でノーヒットノーランを達成した日本通運の阿部良亮投手と木南了捕手のバッテリー

今夏の都市対抗野球で史上5人目の快挙、成長遂げるバッテリーが抱く夢

 今年7月に行われた第88回都市対抗野球大会で、完全試合を含め史上5人目となるノーヒットノーランを達成した日本通運の阿部良亮投手と木南了捕手のバッテリー。偉業を成し遂げた右腕は、「自分でも出来るとは思わなかった」と驚きを隠せない。自分の性格を「すぐ弱気になり、考えすぎてしまうこともある」と話す阿部。快挙の裏には、そんな阿部を変えた指揮官の言葉と、ノーヒットノーランを意識せず、いつもと変わらずプレーを続けたバッテリーの姿があった。

 阿部は都市対抗野球大会の予選後、調子を落としていたという。「ボール自体が悪いのではなく、弱気になっていた」と、気持ちの部分に原因があったと振り返る。 

「バッターと勝負せず、簡単に全部ボールで、フォアボールでランナーを出してしまうことがありました。それが1試合だけだったり、すぐに修正できれば問題はなかったんですけど、ずっとその状態が続いていました」

 そんな阿部を変えたのは、藪宏明監督の言葉だった。

「しっかりしろ。お前が逃げて投げている姿が俺は一番腹が立つ」――。

 練習してきたことをしっかりやれば打たれないと感じていたが、「打たれることに対してビビって投げていた」という。阿部は指揮官の言葉に奮起し、自信を持って投げることを心がけた。 

 一方、ボールを受けていた木南も、阿部がイライラしているのがわかり、何とかサポートしたいと考えていたという。そんな木南自身、藪監督からリードに関して「幅を使え」というアドバイスを受けていた。

「幅を使って楽になりました。阿部はコントロールがいいので、長所を生かそうと思うあまり、狭い範囲で勝負していました。そうすると相手も慣れてしまう。幅を使うことでバッターの目線が散ってくるので、配球が楽になりました」

ピンチで受けたゲキ、「ギア上げて絶対抑えてこい」

 大会前の最後の練習試合で好投し、自信を得たことも大きかった。試合数日前に先発を言い渡されてからは、いつもと変わらず、対戦相手のビデオを見て2人で話し合い、入念に準備を進めた。 

 迎えた都市対抗野球大会2回戦のパナソニック戦。試合は5回に2四死球で1死一、二塁と、この試合最大のピンチを迎えた。ここでマウンドまで来た藪監督からは「試合の中ではピンチは必ず来る。抑えなきゃいけない時が来る。それがここだから、ここでギア上げて絶対抑えてこい」と声をかけられた。

 木南はその場面を「ピンチでの初球の入り方は、チームで課題にしてきたことです。日ごろから意識していることを、その場でやるだけ。シンプルに考えていました。点差が1点差ですから、打たれても試合に勝つことだけを考えていました」と振り返る。

 阿部も、その木南の配球を信じて思い切り腕を振って投げた。結果は連続三振だった。

 このピンチを切り抜けても、無安打無失点について特に意識していなかったという右腕。試合は1-0と最少の点差。「試合は動くと思っていた」というバッテリーは、試合に勝つことだけを考えていた。

「できると思っていなかった」快挙、木南が手応えを感じた球種とは

 そんな阿部がノーヒットノーランを意識し始めたのは7回だった。「僕というよりは、周りがざわついてきたので。その時には意識はしていました。でも、出来るものだとは思っていなかったので。コーチにも『打たれてもいいから』と言われていたので、プレッシャーはなかったです」。ベンチでも、コーチやチームメートからは無安打無得点ということについて、声をかけられることはなかったという。

 試合は9回まで2-0と緊迫した状況が続いた。東京ドームは本塁打が出やすいことに加え、9回は上位打線に回る。何が起こるかわからない状況で、木南はいつも通り先頭バッターに集中し、最後まで普段通りのリードを続けるよう心掛けた。

 9回、先頭打者をファーストゴロに打ち取り、1アウト。後続を見逃し三振に打ち取ると、最後のバッターも見逃し三振に仕留め、見事ノーヒットノーランを達成。3四死球を与えたが、打者29人に9奪三振、122球の力投だった。

 バッテリーが最後まで「できるとは思っていなかった」という快挙。木南は「あの試合ではカーブをうまく使えました。それまでは落ちるボールに頼っていましたが、カーブで上手く緩急を使えました。相手が最後まで打ち方を変えてこなかった。淡泊になってくれていました。それが良かったと思います」と要因を分析する。

 ただ、チームは決勝で惜しくもNTT東日本に敗れ、昨年の日本選手権に続き準優勝という結果に終わった。快挙を達成したバッテリーにも悔しさが残った。

“ノーノー”のインパクト、「すごいことをしたんだなと思いました」

 今は日本選手権、そして共に選出された侍ジャパン社会人代表の戦いに思いを馳せる。社会人代表は都市対抗野球大会での活躍が認められての選出。8月に参加した2次選考合宿を振り返り、阿部は「初めて会う人が多かったけど、みんなが僕の名前覚えていました。すごいことをしたんだなと思いました」と笑う。

 偉業を成し遂げたとはいえ、慢心はない。現在もチームでは高山亮太投手がエース。浦和学院高では1年時に甲子園に出場したがベンチ入りはならずスタンドで応援したという阿部は、進学した東洋大でも1学年下の原樹理(現ヤクルト)がエースだった。 

「原とはよく食事にも行きます。原が、使っていないグローブを『これあげます』と言ってくれました。原の活躍はいい刺激になっています。僕も頑張らなくちゃと思います」

 そんな阿部は今後、“脇役”から“主役”として羽ばたいていくことができるのか。好リードを見せた木南とともに夢は「プロでの活躍」だ。

 日の丸を背負って出場する10月の「第28回 BFA アジア選手権」(台湾)を経て、さらなる成長が期待される両選手。この夏、東京ドームを沸かせたバッテリーが今後どのような飛躍を遂げていくのか、その未来が楽しみだ。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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