【特集】追い詰められていった母親(1) 難病の三男、殺人未遂

三男が入院していた宮城県立こども病院
判決があった仙台地裁

 仙台市青葉区で2016年11月、難病を患う当時1歳の三男を殺そうとしたとして、母親(42)が殺人未遂容疑で逮捕され、17年5月末に懲役3年、執行猶予5年の判決を受けた。母親は次男を同じ難病で亡くしており、事件当時、精神的に追い詰められていた心境が法廷で明らかになった。

 ▽「私がやりました」

 一命を取り留めた三男の病気は目や耳の機能が衰え、のみ込む力もなくなる厚生労働省指定の遺伝性の難病。3~4歳までに亡くなるケースが多く、根本的な治療法は確立されていない。仙台地裁の小池健治裁判長は判決理由で「次男を亡くした過酷な経験から、三男を楽にさせたいとの誤った考えに、うつ症状が影響した」と指摘。判決言い渡し後の説諭で「三男は一生懸命に生きていた。次男と重なっても命を奪うことは許されない。1人で考えず周囲の人を頼りにしてほしい」と母親に語りかけた。

 法廷でのやりとりなどから事件の経緯を振り返った。

 16年11月17日、午前8時20分すぎ。宮城県立こども病院でナースコールが鳴った。「(三男が)死にました」。看護師が駆け付けると、三男がぐったりしていた。蘇生措置が取られる中、母親は看護師に「私がやりました」と告げた。

 「焦って、今やらなきゃと思った」「呼吸を止めれば、苦しい思いをしなくて済む」。病院でたんの吸引をされる三男を見て、同じ病気だった次男を思い出し、とっさに三男の鼻と口を手でふさいだという。

 ▽次男の死

 2002年11月に生まれた次男は、生後半年ほどから症状が出始め、寝返りができなくなり、だんだんと寝たきりに。口からの食事ができなくなると、鼻からチューブを入れて栄養を取った。母親は、たんが詰まらないよう、夜中でも2~3時間おきに吸引をした。

 懸命に介助したが、次男は07年、5歳になる直前、母親が寝ている間に亡くなった。法廷で母親は「よだれまみれで亡くなっていた」と、うつむいて声を震わせながら語った。

 15年8月に生まれた三男も、苦しそうに呼吸をした。母親は「次男と同じ病気なんじゃないか」と疑い、3つの病院を回ったが、どの病院も「まだ赤ちゃんだから、飲み込む力が発達していないから、大きくなるまで待つように」と言われた。その後育児に不安を抱き、母親はうつ病になった。

 三男は乳児院に預けられた後、こども病院に入院。母親は、三男が注射をされたり、たんの吸引をされたりしている時に顔を赤くしてつらそうにしている姿を見て、「かわいそうで見ていられなかった」と、涙を浮かべながら話した。

 「自分が産んだ子だから。早く楽に」。そう思って、三男の息を止めようとした。ナースコールで駆け付けた看護師に「次男は苦しんだから、この子は早いうちに」と告げたという。

 「(つらい気持ちは)夫には話してはいたけど、仕事で疲れて帰ってくるのにぐだぐだ言うのは申し訳ないと思った」と話した母親。不安を一人で抱え込んでいた。

 ▽「孤立を防ぐ」

 専門家は「孤立を防ぎ、支え合う仕組み作りが重要」と訴える。

 認定NPO法人「難病のこども支援全国ネットワーク」の小林信秋会長は、周囲を頼れなかった母親の心情には理解を示す。小林会長の長男は運動機能が低下する難病で13歳の時に死亡。「栄養チューブの交換やたんの吸引で毎日必死。私もつらい気持ちを人に言えなかった」と振り返る。

 国は13年、障害者総合支援法を施行。難病患者や家族の負担を減らすため、訪問介護など利用できる福祉サービスを拡充した。だが、在宅医療ケアが必要な18歳未満の子を持つ親を対象にした厚労省の調査で、15年5~7月にサービスを利用したのは回答者の約4割にとどまった。

 厚労省の担当者は「制度の情報が親に行き届いていない。重い症状に対応できる福祉施設の不足も原因だ」と分析する。

 看病の悩みを共有し、支え合う取り組みもある。肝硬変が進行する難病を患う長女(38)がいる仙台市の冨並かね子さん(66)は「同じ病気の子を持つ仲間に病状を相談して、不安を和らげることができた」と話す。

 長女の病状は手術を経て安定。就職もできた上、母親や仲間に恩返しをしようと患者らでつくる互助団体に所属し、同じ境遇の人の相談に乗っている。冨並さんは「支援の輪が広がれば1人じゃないと思える」と語る。

 東京慈恵会医大の大橋十也(おおはし・とうや)教授(遺伝性疾患)は「家族会に参加したり、インターネットで同じ病状の子の家族と悩みを語り合ったりして、孤立しないことが重要。重い病を特別視せず、社会的な理解を深めていくことも大切だ」と話した。(共同通信=小林智都)

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