横浜・米軍機墜落40年 悲惨な事故、後世に

 1977年9月に横浜市緑区(現・青葉区)の住宅地に米軍機が墜落した事故から40年。語り継ぐ活動に尽力する斎藤真弘さん(76)らが15日、両区にあるゆかりの施設や場所を訪ねるツアーを開催した。遺族の話に耳を傾け、残された資料に目を通しながら、後世に継承する使命感を深めた。

 事故では、土志田和枝さん=享年(31)=の3歳と1歳の息子が直後に亡くなり、和枝さんも4年後に息を引き取った。

 ツアーは横浜米軍機墜落事故平和資料センターが企画し、県内在住者を中心に19人が参加。和枝さんの兄の隆さん(68)が社会福祉法人和枝福祉会で出迎え、「事故から40年たったが、半分ぐらいしか経過したと感じていない」と心境を吐露した。

 近くにある資料室には、亡くなった3人をモデルにした母子像がある。港の見える丘公園(同市中区)にある像と似ているが、斎藤さんは「公園の像よりも子どもが少し大きくなった姿で作られた」と説明した。

 一時話せなくなった和枝さんが、父の勇さんと交わした筆談を収めたファイルもある。秦野市に住む主婦(71)は「子どもたちが亡くなったことを知らされていなかった和枝さんの、子どもを気遣う文章に胸が締め付けられた」と言葉を詰まらせた。

 一行は、現在は公園となった事故現場や、勇さんが開園した「ハーブガーデン和枝園」も巡った。元中学校教諭の村上芳信さん(75)は同園で生徒が折り鶴を献上し、慰霊の踊りをささげた思い出を語った。「勇さんから『天国で3人も見ていることでしょう』と感謝の言葉を掛けられた」と涙ぐんだ。

 「今でも上空を米軍機が飛び交う。悲惨な事件を風化させてはならず、再び起こしてはいけない」と斎藤さん。23日には港の見える丘公園の母子像前で、「和枝さん母子の願いを語り継ぐつどい」を開く。

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