川棚仲良し姉妹、来年200歳

 二人合わせて、もうすぐ200歳になる。東彼川棚町に暮らす土屋イチさん(101)と川津マシさん(98)姉妹。長生きの秘訣(ひけつ)は、よく食べ、よく寝て、悩まない。「昔の苦労は全部忘れた。毎日楽しかですよ」。家族や地域の人の笑顔に囲まれ、きょうも幸せな一日を送っている。18日は敬老の日。

 1916(大正5)年1月生まれのイチさんと、19(大正8)年3月生まれのマシさん。ともに町内で生まれ、川棚尋常高等小、青年学校を卒業。それから別の道に進んだ。

 イチさんは看護師として町の病院に就職。44年に助産師の資格取得のため、長崎市内にある病院併設の学校に入った。翌年、原爆投下の1カ月前に母が病気になり、実家に戻ることに。原爆の被害は免れたが、同僚はガラスの破片が突き刺さり、亡くなったと後に聞いた。自らは救護列車で川棚駅に運ばれてきた負傷者を町の寺で手当てした。

 それからは養護教諭として川棚、波佐見両町の小中学校で定年まで働き、その後、80歳ごろまで川棚町で子育て世代の世話や相談を受ける活動を続けた。結婚はしなかったが「町には自分の"子ども"がいっぱいいるんです」。 ◇  マシさんは東彼地区の畜産組合で働き、23歳のときに結婚。2年後に息子が生まれ、5人の子どもを育てた。今は一番下の娘と一緒に暮らし、孫が11人、ひ孫は16人いる。

 家に遊びに来るひ孫たちからは「ひいばあ」と呼ばれ、一緒にお手玉をしたり、けん玉をしたり。たくさんのしわが刻まれた柔らかい二の腕は、子どもたちのお気に入りの"遊び道具"だ。言うことを聞かなければ注意する。でも「元気に素直に育ってくれればうれしい」。その顔には優しさがにじみ出ている。

 「けんかした記憶が思い出せない」。そんな二人の仲の良さを表すエピソードがある。20年ほど前、同じ時期に白内障を患った。同じ日に手術し、入院部屋も、行きも帰りもずっと一緒。二人にとっては、まるで「旅行」のような思い出になっている。 ◇  今の生きがいは-。「戦後の食べ物がない時代を過ごした子や、わんぱくだった子が立派に成長している姿を見ると元気になる」とイチさん。今でも会いに来る"生徒"は少なくない。「80歳から習い始めた書道の先生もかつての教え子なの」とうれしそうに話す。マシさんは「子どもたちと遊ぶこと。家の中でごちゃごちゃ動き回って心の忙しか」と笑い飛ばした。

 互いに最も頼りにしてきた存在。これからも、それは変わらない。健康のことや家族のこと。何でも語り合い、笑い合える姉がいて、妹がいる。だから、年を重ねても、毎日が楽しい。

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