甲子園V花咲徳栄と7回まで好勝負 公立校率いる老練監督が見据える選抜切符

秋季高校野球埼玉大会は2日、県営大宮球場で決勝が行われ、埼玉県勢として今夏の全国高校選手権で初優勝を遂げた花咲徳栄が市立川越を8-2で下し、4年ぶり5度目の優勝を果たした。

行進する市立川越の選手たち【写真:河野正】

甲子園王者・花咲徳栄に7回まで好勝負も終盤に競り負けた市川越

 秋季高校野球埼玉大会は2日、県営大宮球場で決勝が行われ、埼玉県勢として今夏の全国高校選手権で初優勝を遂げた花咲徳栄が市立川越を8-2で下し、4年ぶり5度目の優勝を果たした。

 昨今、埼玉の高校野球勢力図は圧倒的に私学優勢となっているが、今大会は市立川越、上尾、朝霞の公立勢3校がベスト8進出。この中で市立川越は、投手力と抜け目のない打線で4年ぶり5度目の決勝に駆け上がった。左の和田光(1年)が準々決勝で優勝候補筆頭だった浦和学院を7安打完封すれば、右腕・太賀龍丈(2年)は準決勝で上尾を8安打完封。2試合とも3安打という貧打ながら、少ない好機を確実に得点に結び付け、いずれも1-0で粘り勝ちした。

 33年ぶりに決勝へ進んだ4年前も花咲徳栄と顔を合わせ、当時は0-4の完敗。今回は先発・和田の粘投としぶとい打線がかみ合い、7回まで2-2と競り合った。しかし8回に和田の制球が乱れ、2つの押し出しを含む4四球と2安打で3失点し、9回も継投した2年生左腕・山口丈の制球が定まらず、2四死球と2安打で3点を失って39年ぶり2度目の優勝を逃した。

 和田は「浦和学院戦と同じように内角を突く投球を心掛けたが、8回は腕が振れなかった。疲れと言うより気持ちの問題」と悔しがった。

 就任12年目の新井清司監督は「7回まではうちのゲームだと思っていたけど、やっぱり地力と選手層が違った」と潔く敗戦を受け入れた。

 勝敗の分かれ目は送りバントの巧拙だった。市立川越は7回裏、死球と連打で同点とし、なおも無死一、二塁の勝ち越し機を迎えた。しかし8番・和田がスリーバントを失敗し、絶好機に進塁させられず、後続も倒れて1点止まり。一方の花咲徳栄は8回表、四球で出塁した先頭の代打・羽佐田光希(1年)を韮沢雄也(1年)がスリーバントで送り、これを足掛かりに3得点した。

つかんだ手応え、「打力をつけて何とか食らい付きたい」

「併殺が怖かったから、あそこは追い込まれても送りバントしか考えていなかった。それにしても下手だね」と新井監督は苦笑しながら、「4年前よりいい試合ができたし、公立校の意地も見せられたと思う」と新チームに手応えを感じている。

 初任地だった進学校の所沢北で15年指導し、狭山清陵で12年指揮を執った。特に所沢北時代は当時川越商という校名だった市立川越と合同合宿や練習試合を頻繁に行って強化に努めた。川越商は長らく監督を務めた円谷宣之さんの功績もあり、1989年の夏の甲子園に初出場。新井監督は若かりし頃から円谷さんにかわいがられ、狭山清陵時代も一緒に遠征に出掛けた。指揮官にとって市立川越とは、第2の故郷と言っていい。

 そんなゆかりのある、生まれ育った川越市の高校に赴任した。1930年創部の伝統校を率いるのは気が重かったそうだが、大勢のOBや近隣住民の援助もあって春と夏の県大会でそれぞれ1度、秋の県大会では2度決勝に進み、08年の春季大会で優勝している。

 4年前の関東高校大会は1回戦で横浜(神奈川)に敗れ、選抜大会出場はかなわなかったが、21世紀枠候補に挙がった。しかし選出とまではいかなかった。

 今月21日から初の選抜大会出場が懸かる関東高校大会が始まる。ベスト4入りすればまず当確。来夏の記念大会は埼玉から甲子園に2校出られるが、「そう甘くはない。投手にメドが立ったから、関東大会までに打力をつけて何とか食らい付きたいね」と老練監督は今度こそ、力で選抜切符を勝ち取る覚悟だ。(河野正 / Tadashi Kawano)

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