悲喜こもごもだった2018年ワールドカップに向けた予選。
アイスランドやパナマといった国が初出場を決める一方で、オランダやチリ、アメリカといった強豪国が敗退するという展開に。
この結果、2018年大会ではアリエン・ロッベンやギャレス・ベイル、アレクシス・サンチェスといったスター選手を見ることができなくなってしまった。
当初はリオネル・メッシにもその可能性があったのだが、南米予選の最終節エクアドル戦に勝利したことで、アルゼンチンは逆転でワールドカップ行きを決めた。FIFA的にも「メッシ不在のワールドカップ」にならず、胸を撫で下ろしたことだろう。
そこで今回は、各世代の超スーパースターがワールドカップに出場しなかったケースを編集部Sの独断で7つ見ていくことにしよう。
なお、北アイルランドのジョージ・ベスト、ウェールズのライアン・ギグス、リベリアのジョージ・ウェアといったいわゆるマイナー国に現れたスター選手は対象外とする。
1. ズラタン・イブラヒモヴィッチ
生年月日:1981/10/03 (36歳)
代表チーム:スウェーデン代表
代表での成績:116試合62得点
スウェーデン代表の最多得点者であるズラタン・イブラヒモヴィッチ。
弱冠20歳でA代表デビューを飾り、2002年ワールドカップで来日するなどしたが、実はキャリアの晩年ではワールドカップ出場を逃している。
2010年大会では予選敗退となり、2014年大会ではポルトガルに敗れプレーオフ敗退。イブラヒモヴィッチ対クリスティアーノ・ロナウドというスター同士の対戦に注目が集まり、両者は2試合で全てのゴールを叩き出した。
この試合後に言ったとされる「オレのいないワールドカップなんて、見る価値がない」という発言も話題に。
2. エリック・カントナ
生年月日:1966/05/24 (51歳)
代表チーム:フランス代表
代表での成績:45試合20得点
不思議にもワールドカップに縁のなかった選手は何人かいるが、エリック・カントナもその一人だ。
1987年にA代表デビューを果たしたカントナだが、その後アンリ・ミシェル監督を批判したとして代表から追放に。チームは1990年大会に向けた予選で敗退し、その後ミシェル・プラティニの監督就任によりカントナは復帰する。
しかし、ジェラール・ウリエ政権時に「パリの悲劇」と呼ばれる終了間際のゴールで1994年大会行きを逃すと、エメ・ジャケの就任によってカントナの代表キャリアは終りを迎えた。
1993年のバロンドールで3位に入ったカントナだが、世界最高の舞台にだけはとことん見放されたのだった。
3. フランコ・バレージ
生年月日:1960/05/08 (57歳)
代表チーム:イタリア代表
代表での成績:81試合1得点
ミランとイタリア代表のそれぞれで黄金期を過ごし、数々のタイトルを手にしたフランコ・バレージ。
自身が参加したワールドカップの成績は優勝、準優勝、3位と実に輝かしいが、26歳という脂の乗った状態で迎えた1986年大会には出場していない。
1984年大会以降、代表チームから外れる機会も増え、1986年大会はメンバー外となったのだ。なお、兄のジュゼッペ・バレージが唯一ワールドカップに出場したのがこの大会だった。
4. ケヴィン・キーガン
生年月日:1951/02/14 (66歳)
代表チーム:イングランド代表
代表での成績:63試合21得点
史上10人しかいないバロンドールの複数回受賞者。イングランドでの唯一の該当者であるケヴィン・キーガンは、1978年と1979年に連続受賞を果たしている。
しかしキーガンは代表でのタイトルには恵まれず、チームは1974年大会、1978年大会と揃って敗退に。唯一の出場となった1982年大会でもプレーしたのはわずかに1試合のみだった。
クラブキャリアではリヴァプール時代にフットボールリーグ(1部リーグ)やFAカップ、UEFAチャンピオンズカップなどほぼ全てのタイトルに縁があったのだが…。
5. アラン・シモンセン
生年月日:1952/12/15 (64歳)
代表チーム:デンマーク代表
代表での成績:55試合20得点
北欧が生んだ初のバロンドール受賞者、アラン・シモンセン。ボルシアMGの黄金期を支えた人物であり、ブンデスリーガ3連覇のみならずUEFAチャンピオンズカップのタイトルももたらした。
しかし、当時のデンマーク代表はワールドカップに出場した経験がなく、シモンセンの全盛期であった1970年代はいずれも予選で敗退に。ようやく出場権を手にした1984年のEUROでも開幕戦で骨折というアクシデントに見舞われた。
1986年のワールドカップでなんとか初出場を成し遂げたが、出場はわずかに1試合だった。
6. ヨハン・クライフ
生年月日:1947/04/25 (68歳没)
代表チーム:オランダ代表
代表での成績:48試合33得点
サッカー界に多大なる影響を与えたことで知られるヨハン・クライフ。
1974年大会の決勝で実現したフランツ・ベッケンバウアー擁する西ドイツ戦は「史上最高のファイナル」と呼び声高いが、クライフが出場した主要国際大会はこの1974年大会と1976年のEUROのみだ。
1970年のワールドカップでは予選で敗退し、1978年大会は予選に出場しチームを本大会に導いたものの、その後に代表チームから引退を発表。
あのクライフが一度しかワールドカップに出場していないというのは、意外な事実かもしれない。
7. フランツ・ベッケンバウアー
生年月日:1945/09/11 (72歳)
代表チーム:西ドイツ代表
代表での成績:103試合14得点
ワールドカップに3度出場し、それぞれ優勝、準優勝、3位という成績を残したフランツ・ベッケンバウアー。
その存在は絶対的なものであったが、32歳で迎えた1978年大会では所属していたニューヨーク・コスモスと西ドイツ代表との間で折り合いがつかず参加を断念。さらに、36歳であった1982年大会も負傷により辞退している。
つまり、ベッケンバウアーのワールドカップ出場は全て20代までのものということになる。