【共英製鋼、目指せ100年企業】〈創業70年の軌跡と展望〉《(8)高島秀一郎会長に聞く》チャレンジ精神、さらに磨き 電炉の存在意義向上の先頭に

――入社以来の思い出は。

 「子供のころ、父・浩一はよく佃(2016年3月末閉鎖)や枚方の工場に私を連れていった。学生時代には佃、放出(はなてん)の製鋼・圧延全部門でアルバイトもした。89年に入社して名古屋、山口、和歌山(現日鉄住金スチール)などで研修し、91年に枚方事業所長。92年には『山口立て直し』の命を受け山口事業所長を兼務。当時の永田紘文部長、合六直吉課長と得意先をくまなく回り3万トンほどだった販売量を4万トンに戻した。父にはよく叱られたが、後半は走り出す父を私が後ろから止める役目もあった」

 「91年にはベトナムへの投資計画が動き出した。11月に大阪商工会議所のベトナム訪問団に、常任委員だった浩一社長の代理で参加し、ファン・ヴァン・カイ副首相(当時)に『共英製鋼は5千万米ドルを投資して鉄鋼事業を行う』と申し出た。私は代理ということもあり、団長の佐治敬三サントリー社長(当時)は当初『控えめに』という感じだったが、後から『よく言ってくれた』とお褒めの言葉をいただいた」

共英製鋼・高島会長

――グローバル展開が加速した。

 「93年に副社長になり、92年に買収したフロリダスチール(後にアメリスチールに社名変更)も担当。タンパ本社と4工場を毎年春秋2回ずつ回った。94年にはベトナムで三井物産、伊藤忠(当時)、ベトナム鉄鋼公社と合弁のビナ・キョウエイ・スチール(VKS)を設立し、取締役会(BOM)の初代議長を4年、その後2回、都合9年強務めた。同じ年に相場製鋼・新治工場を買収。関東スチールとし、初代社長に就いた」

――VKSはベトナムでの日本鉄鋼業初の進出企業。

 「88年ごろから事業化調査を開始し、当局より認可を得て会社設立、建設開始と進み、95年末に操業開始した。年産24万トンの単圧ミルでスタートしたが、2015年に電炉製鋼圧延一貫工場を新設して90万トン体制に増強した。北部でも12年に単圧のキョウエイ・スチール・ベトナム(KSVC)を設立。今年8月には一時中断していた電炉製鋼圧延一貫工場建設計画を再開。19年に圧延、20年に製鋼を動かす」

――拡大の一方、共英本体の業績は厳しかった。

 「90年に共英グループ5社が合併して新・共英製鋼となり、黒字が3期続いたが、94年3月期から3期連続赤字。父が投資のため借り入れた有利子負債が700億円に膨らんだ。98年3月期から2000年3月期まで再び3期連続赤字となったため、アメリスチールの売却計画を吉岡龍太郎常務(後の社長)らと立て、父を説得したが半年かかった。最終的に交流のあったブラジルのゲルダウに3億ドル強(約330億円)で売却した」

 「従軍した父には『戦友のためにも米国を見返したい。自分たちの技術でチャレンジしたい』との想いがあった。フロリダスチールは200億円で買収した後もなかなか業績改善が進まなかったが、当時バーミンガムスチールのナンバー2だったフィル・ケーシー氏を社長に招聘してから大幅に改善。97年にはニューヨーク取引所上場を目指すまでになった。アジア通貨危機の影響で断念したが、そのアメリを売却するというのは納得できなかったのだろう」

――しかし昨年末、米テキサスでビントンスチールを買収。3度目の進出を果たした。

 「父は常々『米国はチャレンジする国』と言っていた。そのチャレンジ精神が今回の買収につながった。主力の鉄鋼事業は、国内170万トン・海外130万トンの300万トン体制からさらに拡大し、国内・海外で半々の生産販売体制を目指す。父が実践してきた『挑戦』は、当社の経営理念『スピリット・オブ・チャレンジ』として継承されている。さらに磨きをかけていきたい」

――「100年企業」に向けて。

 「何度も経営危機に直面したが、住友金属や銀行、商社など多くの方々から支援していただいた。父が死去した2000年には、高島成光会長(現相談役)が苦労を承知で会長に就任してくれ、先頭に立って借金返済・再建・株式上場とリードしてくれた。不義理をしてしまった方もいるが、多くの方の支援に報いるためにも『100年企業』になることは責務だ。共英の強さは『チャレンジ精神』。国内外の拠点がそれぞれ最強の競争力を磨くことで、最強の共英にしていきたい」

 「また、当社を含め国内電炉メーカーの存在意義を高めていきたい。異形棒鋼は社会資本整備になくてはならない鋼材だが、夜間操業で従業員に負担をかけながら生産しているにもかかわらず、製品価格を含め評価が非常に低い。これでは製造現場の皆さんに申し訳ない。多量に生み出される鉄スクラップをリサイクルする電炉メーカーの存在価値を改めて広く認識していただくためにも共英製鋼が先頭に立ってがんばっていきたい」

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