『Chronicle Live』は17日、「元アイルランド代表GKシェイ・ギヴンは、古巣ニューカッスルを批判した」と報じた。
1997年からニューカッスルの守護神としてプレーし、12シーズンに渡ってゴールマウスを守ったギヴン。
彼は2009年2月にマンチェスター・シティへと移籍することになり、忠誠を誓ってきたニューカッスルを離れていた。
その時に起こったことを、彼は自伝「Any Given Saturday」で以下のように語っているという。
シェイ・ギヴン 「2009年、マンチェスター・シティに移籍する機会が来た。そこには、あの時のニューカッスルに無いものがすべてあった。
野心、明確なプラン、投資。ビッグプレーヤーを惹きつける魅力、そして成功への欲求。
人生においてそれを欲しがらないサッカー選手がいるだろうか?
最終的に、私とマイケル・ケネディ(代理人)は、マイク・アシュリー会長との会談を行った。未来を決めるためにね。
マネージャーのオフィスに行った。そこにはマネージングディレクターのランビアスもいた。
私は彼らが言わなければならないものを聞くつもりだった。しかし、結局全部マイケルに任せることにした。
そういうことは契約交渉には起こるものだ。選手はそれを信頼できる誰かに任せるしかない。
会談が始まると、私は部屋から出て車に戻った。マイケルはすぐに来た。助手席に座ると彼は言った。
『我々はここに残れない。あれは真剣さも、形も、その格好すらもないオファーだ』
それは新戦力の選手に提示されていたものよりもかなり低かった。彼らは人生を保証されるくらいの長期契約で来ていた」
シェイ・ギヴン 「ニューカッスルは私を残すために何もしなかった。こちらはキャリア全てを捧げる覚悟だったし、自分は全盛期だった。プレミアを優勝できるクラブも欲しがっていたわけだ。
しかし、ニューカッスルはタイトルを狙うような素振りも見せなかった。最も忠実な選手を保つことを考えていたか?一言で言えば、NOだ。
彼らは『移籍要求の書面にサインしなければ、退団は認めない』と言った。
それにサインすることは、移籍金の10%が彼らに渡ることを意味した。600~800万ポンド(およそ8.3~11億円)だったから、少なくとも60万ポンド(およそ8276万円)がそうなる。
10年以上クラブに忠誠を尽くしてきた選手より、60万ポンドを手にしたかった。そういうことだ。
ニューカッスルは私よりも移籍金に興味を持っていた。彼らが私を行かせた。ジェームズ・ミルナーも行かせた。
クラブの経済状態がピッチ上よりも重要だったのだと語っている。それが私を悲しませている。今もなお」
「私を本当に苛つかせたのは、『シェイ・ギヴンが移籍を要求した』と発表されたことだ。
『シェイ・ギヴンが移籍を要求し、取引を強制したので、残念ながら彼をキープすることができなかった』
ジョー・キニア監督も記者会見で言った。
『我々は彼をニューカッスルに残すために尽力し、長い契約を提供した。長い間このクラブにいて、偉大な選手だった。しかし、彼は適切なタイミングだと感じたのだ。実際には、我々は渋々彼が行動を起こすことを許すほかない状況であった』
おいおいちょっと待てよと。
その裏にはクラブのクソみたいな政治があった。私が出ていってからも、何も良くなっていなかった。
『我々はシェイ・ギヴンの貢献に感謝する』とだけ言ってくれれば、それで十分だったのに」