箱根駅伝の逸話紹介 平塚、88歳の元選手

 正月の風物詩となった東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)にかつて出場した選手や、平塚中継所運営に携わる役員が登壇する市民講座が21日、平塚市追分の市中央公民館で開催された。大会をより深く知ってもらおうと同公民館が主催し、市内外から参加した約50人の「箱根駅伝ファン」らが熱心に耳を傾けた。

 1948年、52年に2回出場し、県と平塚市の陸上競技協会顧問を務める内野慎吾さん(88)がレースへの思いを語った。

 中央大に入学し、駅伝に出たいがために血尿が出るほど過酷な練習を克服した、と振り返る内野さん。1年生ながら2区区間2位と好成績を収めるも、疲労骨折など故障が重なり次の出場は4年後の9区となった。終盤に脱水症状を起こしたが区間2位と粘りの走りを披露。「3年間まともに走れなかった苦渋の日々に耐え、決して箱根に出ることを諦めなかったから最後まで走り切れた」と振り返った。

 大会の歴史や最近の特徴などを紹介し、「いつの時代も選手やサポートする側の熱意そのものが箱根駅伝の魅力。だからこそうれし泣き、悔し涙があり、うそのないドラマが人々を感動させる」と解説した。

 スタートの東京・大手町から65・8キロ地点にある平塚中継所の運営に長年携わってきた同協会の小泉一二三会長(71)は、選手が安全に走れるよう沿道での小旗の振り方の注意や、レースを待ち構える実情などを紹介。「ぜひ平塚の中継所に足を運んでほしい」と呼び掛けた。

 市内から参加した竹内和子さん(70)は「内野さんが開催する歩く会に参加しているが、現役当時の話は初めて聞いた。来年も大会が楽しみですね」と話していた。

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