下垣内洋一氏(元JFEHD社長)死去

 元NKK(日本鋼管)社長、JFEホールディングスの社長を務めた下垣内洋一氏(しもがいち・よういち)が10月25日午前11時35分、前立腺がんのため死去した。83歳だった。葬儀は近親者のみで行った。喪主は夫人の泰子(やすこ)氏。お別れの会を行うが日取りなどは未定。連絡先はJFEホールディングス広報室。

 1958年(昭33)に東京大法学部法学科を卒業し、日本鋼管に入社。主に営業畑を歩き、87年取締役、89年常務、91年専務、94年副社長を経て、鉄鋼業の経営環境が厳しさを増した97年に社長に就任。半導体メモリー事業からの撤退など事業の再構築(リストラ)を断行した。JFEホールディングスが発足した02年9月に初代社長に就任。05年に退任した。

JFE〝生みの親〟/頭脳明晰、優れた大局観

 〝ガイちゃん〟の愛称で親しまれた。1997年6月、NKK(現JFE)社長に就任。

 頭脳明晰、大局観に優れ、先を見る目の確かさ等々、三拍子も四拍子も揃った名社長だった。就任後、鉄鋼業を取り巻く環境の厳しさ、悪化を背景とした競争激化の下、「新日本製鉄に匹敵する巨大製鉄メーカーが必要とされる時代に」として故江本寛治川崎製鉄社長と2年間にわたり本音をぶつけあった協議を重ね、2003年に鉄鋼大統合を成し遂げ、JFEを誕生させた。JFE発足と同時に持ち株会社JFEホールディングスの初代社長に就任。グループ戦略などを統括した。

 NKK時代は長く営業畑を歩いた。逸材揃いと言われた昭和33年入社組の中でも一頭地を抜き、早くから「いずれNKKを背負って立つ人材」と高い評価を得ていた。会食時には大好きな客船での船旅話や野鳥の観察話などを楽しげに。終始温和、パーティーなどでも自然に周りに人が集まり、いつも笑いが。

 「学生時代も含め、受験など何もかも思い通りに。が、高校卒業直後、よもやと思った大学(東京大学)受験に失敗、大きな挫折を味わった。しかし今思えば、そうなって本当によかった。すんなり合格となれば思い上がり、自信過剰で鼻持ちならない人間になってただろうね(笑)」―ざっくばらんな語り口が今も耳に残る。冥福を祈ること大。(一柳 正紀)

© 株式会社鉄鋼新聞社