【私鉄に乗ろう 25】 関東鉄道常総線 その1

※この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートで旅行して撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券があれば誰でも入れる場所からの写真です。素人のスナップ写真なのでクオリティーには目をつぶってご覧ください。

関東では数少ない非電化の私鉄です

関東鉄道は長い歴史のある私鉄会社です。常総鉄道が1913年(大正2年)に取手〜下館間を開業したコトから始まります。1945年(昭和20年)筑波鉄道を合併して常総筑波鉄道になります。1965年(昭和40年)に鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道になりました。

常総線は元々はのんびりした単線のローカル鉄道でしたが、1960年代から住宅造成が進んで、常総ニュータウン(新守谷、南守谷)やパークシティー守谷(南守谷、戸頭)などの大規模開発によってベッドタウン化が進み、日本住宅公団などの資金分担もあって、取手〜水海道間17.5kmが複線化されました。取手〜下館間の営業キロは51.1kmですから33.6kmは単線です。取手〜守谷間の複線区間は通勤・通学の郊外を走る私鉄、守谷から北は関東平野の北辺を走る長閑なローカル線という雰囲気に二分されます。

非電化の理由は茨城県石岡市に気象庁地磁気観測所がある関係です。例えばつくばエクスプレスは守谷駅とみらい平駅間からつくば駅までは交流電化されています。さらに、みどりの駅と万博記念公園駅との間にもデッドセクションがあって発電所が分けられています。

当初関東鉄道は交流では無く直流で、直直デッドセクション式の電化を目指しましたが、多くの変電所が必要で費用負担が多くなることから非電化のままで営業運転を行っています。

では、さっそくJR常磐線取手駅にやってきました。

JRと並んで関東鉄道常総線の乗り場があります。

車両の前面展望で下館方を見ると左手に大きな壁画が見えます。

下館行が出発しました。右に常磐線が見えますがすぐに離れていきます。

西取手駅ですが、アタマっから撮影失敗。すみません。駅名標は別の時に撮ったものです。1979年(昭和54年)関鉄ニュータウン内に開業した駅です。

寺原駅。1913年(大正2年)開業。常総線で最も駅間の短い区間で、西取手駅から500mしか離れていません。1977年(昭和52年)取手から寺原までが複線化されました。

別の日に撮った駅名標です。

新取手駅。1968年(昭和43年)北側(右側)の新取手地区の開発にともなって開業。手前の構内踏切の右側にあるのが駅舎です。

こちらも別の日に撮った駅名標。

ゆめみ野駅。2011年(平成23年)開業。常総ニュータウン取手ゆめみ野地区整備にともない開業した新しい駅です。

駅名標。

稲戸井駅。取手行とすれ違います。上りホーム側に茶色の駅舎が見えます。

別の日に撮った駅名標。駅名は稲戸井村から付けられています。稲戸井村は、古い地名の稲、戸頭、米ノ井を合成した地名です。

常総線は何カ所かこの様にズレる様な場所がありました。

戸頭駅。この駅も公団取手戸頭団地造成によって1975年(昭和50年)に新設されました。ホーム間は地下道で繋がっています。団地のある南側、下りホーム(左側)に駅舎があって出入り口があります。上りホーム側に出入り口はありません。

上りホームの駅名標。つくばエクスプレス開業までは常総線で2番目に乗降客数の多い駅でしたが、現在は3位です。むしろ守谷駅へのバス便が整備されて乗降客数は減っています。

南守谷駅。1960年(昭和35年)常総ニュータウンにともなって開業しています。駅周辺は古い時代足軽が集団居住していたことから昭和末期まで「足軽町」と呼ばれていたそうです。全国的に、古い味のある地名を、無味乾燥な地名に替えたがるお役人が多い・・・ですね。

駅名標が撮れませんでした。この駅も隣につくばエクスプレスが開通したコトによってバス路線に客を奪われて利用者が激減しました。

と、今日はここまでです。次回はつくばエクスプレスとの乗換駅守谷です。【私鉄に乗ろう 25】 関東鉄道常総線 その2に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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