爆心地近い2校が交流 「子どもの視野広がる」

 広島原爆の爆心地近くの広島市立幟町(のぼりちょう)小(島本靖校長)の6年生94人が修学旅行で、長崎原爆の爆心地そばの長崎市立山里小(吉本研二校長)を訪れ、6年生116人と平和をテーマに交流した。両市教委によると、こうした取り組みは珍しいという。本年度、長崎市教委は初めて「平和学習の手引」を作成する予定で、「子どもたちが新しい価値観に触れ視野も広がる」として他校との交流を盛り込めないか検討している。

 幟町小は被爆当時、爆心地から900メートルにあり、現在は近くに移転している。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルで、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの母校。同じ被爆地の長崎で児童に共通点や相違点を考えてもらおうと島本校長が昨年秋、長崎市教委に交流できる学校を照会。山里小が快諾した。

 10月30日にあった交流会では、山里小の児童が各学年の平和学習の内容を説明し、被爆しながら救護に奔走した故永井隆博士が作詞した「あの子」を歌った。幟町小は、佐々木禎子さんが生きたい一心で闘病中に薬袋で鶴を折っていたことなどを紹介し、禎子さんのことを歌った「折鶴のとぶ日」を合唱。その後、10人弱のグループに分かれてそれぞれが学んだことを発表し、平和な世界に向け決意文を作成した。

 山里小の大崎桜花(はな)さん(12)は「広島にもたくさんの被爆遺構があると分かった。広島のことも勉強したい」と話した。吉本校長は「これまではそれぞれの学校の中でしか平和学習をしてこなかったが、幟町小との交流で子どもたちに被爆地同士の連帯感が生まれた。このような取り組みが広がっていくことが大事だろう」と述べ、手応えを感じていた。

 長崎市教委はこれまで「被爆体験の継承」と「平和の大切さの発信」を目標に各校で平和学習を推進してきたが、未来の平和を主体的に考えられる子どもの育成を新たに目標に加えた「平和学習の手引」を本年度中に作成するという。学校教育課は「長崎と同じように平和学習に取り組んできた広島の子どもたちとの交流は特に教育効果が高いはずだ」としている。

【編注】大崎桜花さんの崎は、大が立の下の横棒なし

平和をテーマに交流する山里小と幟町小の児童=長崎市橋口町、山里小

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