第二の故郷 福島にて…

久々の丸山桂里奈さんのコラムです。先日福島でサッカー教室とトークイベントを行なわれたときのことについて語っていただきました。

ご無沙汰しております。

久々コラムー

みなさん忘れてませんか?

今回からは継続的に書いていきたいので、ぜひ、のぞいてくれたらありがたいです。

2週に渡り福島

福島でのサッカー教室は、とにかくみんなまっすぐでサッカー好きな子ばかりで、私も一緒にサッカーをして、サッカーでいいなという気持ちになれました。

福島はアカデミー福島が作られた場所で、そんな場所からなでしこジャパンに入れるような選手がたくさん出てきたらとても嬉しいです!!

町、食、人、全てにおいて環境が整っている福島なので、のびのびとサッカーができるんじゃないかなと思います。

私は2005年にマリーゼという福島のチームに入りました。それから5年間在籍し、そこからアメリカのチームに行くまで、ずっと福島にいました。大学を卒業してから親元を離れるのも初めてで、寮に暮らすのも初めてで不安ばかりでしたが、私を支えてくれたのは会社の人たち、そして町の人たちでした。

そんなあたたかい福島を私は第二の故郷とずっと思い続けていて、それは今でも変わりません。ずっと福島をサッカーを通じて盛り上げたいなと感じていたからこそ、福島でのイベントを強く願い、そんな願いが届き、今回二週連続福島でのイベントに行かせてもらいうことができました。感無量でした。

この時にJヴィレッジの専務小野俊介さんに久々に再開し、また新たにJヴィレッジが生まれ変わると聞き、私も何か力になりたいと思いました。

とにかく自分にできることはなんでもしたい、福島を元気に、という気持ちです!

私は今でも大熊町に当時住んでいた自宅があります。自宅の中には荷物があり、一時帰宅は果たしたものの持ち帰れるものも限られていますし、全て持ち帰れるわけではないので、これからも引き続き一時帰宅をしながらではありますが、帰宅しつつ街の様子や、これからどうなるんだろうという気持ちにさいなまれ悲しい気持ちになります。

自分の無力さや、どうにもできない気持ちでいっぱいになります。自然と涙がでます。

まだまだ復興には程遠く、大熊町は警察の方や一時帰宅の方、もちろん震災当時の時間で時計は止まったままです。

現実からはかけ離れた状況ではありますが、少しずつ前を向きいつかまた地元の方が帰宅できるようになることを祈るばかりです。

6年が経ち、まだ6年もう6年が、一人一人捉え方は違いますがとにかくできることをみんなでやり続けていくことが大事なんだと思います。

私の気持ちは今も変わらず、福島への想いは変わらずあります。

復興に向け、自分にできることを努力していきたいと思います。

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