【ラン鉄32】毎日が崖っぷちの中年_箕面の崖の上から絶景

 ガバッと起きたら、コトンコトン♪
 景色が流れるカプセルホテルのなかにいた。どこだ、ココ…!?
 窓から朝日が差し込み、ビミョーに揺れている。あああああ…。
 サ・ン・ラ・イ・ズ・だ。
 ポケットや財布、バッグに手をつっこみ、きっぷを探す。あった。
 横長の紙片に「大阪→東京 サンライズ出雲 シングル」と記されている。マジか。
 どうりで。爆睡できたわけだ。
 いや、個室B寝台のおかげじゃない。昨晩、やりすぎたんだ。間違いない。

箕面山にメタボリズムと数奇屋造

 そういえば、きのうの夕方、箕面にいたんだ。梅田で仕事をかたづけて、阪急箕面線に乗った。
 そうだ。箕面山の斜面に構える、まるで要塞のようなホテルで、ひとり感激して、全身の力が抜けて、大阪平野のキラキラした灯りを眺めながら、呑んでたんだ。
 箕面観光ホテルだ。イエス。
 その重厚感たっぷりのつくりに、まずシビレた。設計者は、渋谷駅や新宿駅などの一部も手がけた、坂倉準三ら。
 昭和の時代に注目された、メタボリズム建築で、寺社を想わせるコンクリートの層や、リベットむき出しの外観は、思わず「スッゲエ!」と叫ぶほど。
 1968年に竣工し、2年後の大阪万博開催にあわせて増築され、現在に至る。
 箕面山の斜面に建つ要塞の最上階へと行くと、その景色がまたすごい。

足元に近寄る箕面線は、模型のよう

 その先、伊丹空港を離着陸する旅客機が、大きく右旋回し、彼方へと消えていくまで、見つめてしまう。
 地表に降りれば、こんどは明治期の気品に迷い込む。このホテルで大切に保存されている、別館「桂」だ。
数奇屋造のこの別館は、明治中期、北浜銀行の頭取だった岩下清周ら財界七人衆が建てた「関西財界人クラブ」だ。
 かつての宴会場には、一枚の板に透かし彫りを施した見事な欄間もある。
 阪急電鉄の創業者、小林一三もこの別館「桂」をこよなく愛し、1910(明治43)年、箕面線の前身となる箕面有馬電気軌道を開通させた。
 箕面に湧き出る温泉に浸かり、フードコートで子どもたちのはしゃぎ声をBGMに生ビールを流し込めば、全身の力が抜けていく。オレ、オツカレ。

東海道に寝台急行「銀河」の香り

 ホテルから駅までの坂道にも、バーや喫茶店、土産屋が軒を連ねている。
 一軒か二軒、入ったあたりで大事なことを忘れていた。この付近に、大阪観光という会社が運営していた箕面鋼索鉄道線というケーブルカーの名残があるということを…。
「大阪観光いう会社が、あそこのホテルを経営してたんやけど、つぶれてね。なんちゅうたかな。大江戸温泉物語ちゅう会社が盛り返しとるらしいで」
 そんな、箕面のオモロイ話を聞いてたら、あっという間に夜8時だった。
 そうだそうだ。東京行き最終の新幹線に間にあわなかったんだ。
「なんか帰れる手段、ないっすかね」
 泥酔中年が駅員に聞いている場面を思い出した。それでサンライズか。
「ちょっと待って。サンライズっていう寝台列車に空席があれば。あっ、空いてますね。どうします?」
 かつてビジネス客がよく使ったという、寝台急行「銀河」を彷彿させる、夜行列車が、どっこい生きてる!
 何してんだオレ。東海道を走る貴重な夜行列車の旅情を、1ミリも感じず、目覚めたら、品川だったなんて…。

この連載は、社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会発行の月刊誌「リハビリテーション」に年10回連載されている「ラン鉄★ガジンのチカラ旅」からの転載です。今回のコラムは、同誌に2015年5月号に掲載された第32回の内容です。

鉄道チャンネルニュースでは【ラン鉄】と題し、毎週 月曜日と木曜日の朝に連載します。

本コラム連載の文字・写真・イラストの無断転載・コピーを禁じます。

© 株式会社エキスプレス