【柿元邦彦今日の一言】「状況証拠はシロでも風評はとめられない」

 柿元邦彦著『GT-R戦記』一部抜粋連載その2。

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規則違反の苦い思い出

 2000年頃は、ニッサン系としては4台のGT-Rが参戦。NISMOは前年チャンピオンの#1 GT-R(ロックタイト・ゼクセルGT-R)と#2 GT-R(カストロール・ニスモGT-R)、ハセミモータースポーツの#3 GT-R( ユニシア・ザナヴィスカイライン)、TEAM IMPULの#12 GT-R(カルソニックスカイライン)という構成であった。

 当時我輩に総監督という肩書はなかったが、NISMOからの2台を含め、技術開発や全体のチーム構成、ドライバー、戦略や戦術など実質的に総監督の役割を果たしていた。そして2000年シリーズの最終戦に起きた事件は、その後の我輩の総監督としての覚悟を決めさせる苦い思い出となった。

 # 1GT-R、#16 NSX( Castrol 無限 NSX)、#12 GT-Rの3台が僅差でタイトル争いをしながら臨んだ鈴鹿の最終戦。それまで何かと車検の不備が指摘されていたので、事前に我輩はNISMOの監督としてオフィシャルに「車検はきちんとやりましょう」と働きかけていた。

 それもあって予選後、トヨタ、ホンダ、ニッサンから予選上位車各1台について綿密な再車検が行なわれた。ニッサン2位に入った#2 GT-Rが対象となり、何と燃料タンクの容量が規定の100Lを3.4L超過していて、明確な規則違反で失格となった。

 前戦のMINE戦でクラッシュしてラバー製のフューエルセルが損傷したので交換していたが、燃料タンクはそれを覆うコンテナで支えられているからコンテナの形状の影響も受ける。

 今回の場合、燃料タンク容量はコンテナに入れた状態でしっかり100L以下に調整してきている。しかしクラッシュでコンテナも変形していたのを見逃していて、鈴鹿での走行Gでそのコンテナが元の形状に戻り、100L超となったのである。

 決勝レースは、容量を合わせ込んで最後尾からスタートして4位でゴールした。

謝罪リリースで原因説明。各チームにも直接説明

 再車検での失格、それも大所高所の立場で厳格化を提案した本人のチームが失格したのだから間抜けな話である。

 しかしJGTCの権威を失墜させかねない事の重大性に鑑み、NISMOとして事実とその原因、ファンや他チームへの謝罪を記したリリースを発行した。

 そして各チームへは我輩が直接出向いて説明を行なった。後でNISMOのそういう行為を「尊敬できるチームだと思った」というコメントを、メディアに対し名前を出して話したエンジニアもいた。

 しかし、それまでNISMOのピットワークが速いという定評があったので、今回の違反事件で「ピットワークが速いのは、今までも燃料タンクが大きく補給時間が短かったからだ」とか「他の3台も失格だ」との風評もその後広がった。

 車検の厳格化を提唱した側が意図的な違反を犯すはずがないという状況証拠もあるが、しのぎを削って闘うとはこういうことである。そこまで人知や気力を振り絞って闘うからファンも魅力を感じるのである。

 競技は一定のルールのもとで行なわれているので、参戦する側はルール順守が基本中の基本で、今回のような規則書に明記された数字に違反しているのは言語道断である。

 一方でその規則をどう解釈するか、いわゆる規則の行間を読むというのもプロの世界では当たり前で、その適否は最終的にはしかるべき機関に委ねることになる。それらは明確に区別して対応しなければならない。

 いずれにしろ規則違反という行為は、参戦チームやオフィシャルの名誉、レースそのものの権威を貶めるだけでなく、ファンの期待も裏切ってしまう。

 もちろんヒトは間違いを犯すものであるから、それには寛容でなければならいが、総指揮官としての我輩に、ふたたび同様な違反は犯さないという覚悟を決めさせた苦いが意味のある出来事であった。

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 2004~2015年スーパーGTニッサン系チーム総監督・柿元邦彦氏の著書『GT-R戦記』は12月1日発売です。※ニスモフェスティバルで先行発売。

『GT-R戦記』は12月1日

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