第1部「無縁」(6) 法廷で「生き直したい」 支援者、苦悩に共感

ひきこもりの経験者らが集まる「居場所」で、若い男性(左)と語り合う山田孝明

 京都市でひきこもりの人の支援をしていた山田孝明(やまだ・たかあき)(64)が、新聞記者から突然の電話を受けたのは2004年10月。36歳だった藤田真一(ふじた・しんいち)=仮名=が両親を殺害したとして、逮捕された直後のことだった。「事件についてのコメントをお願いします」。真一とは面識がなく、事情が分からないため取材は断ったが、心に引っかかった。
 年が明け、山田は大阪地裁で開かれた公判に足を運んだ。傍聴人がほとんどいない法廷。少し気の弱そうな青年が、裁判官に向かって言った。
 「生き直したい」
  ×  ×  ×  
 1990年代半ば、山田は自宅を開放し、10代や20代の人たちの居場所づくりを始めた。塾の講師をしていた時に、学校になじめない子どもたちと出会ったことがきっかけだ。大柄な体格に、人をほっとさせる柔和な表情。ひきこもりの子がいる家族会も各地に立ち上げ、関西では名の知れた存在だった。
 自らも高校、大学を中退した経験を持つ山田は決められたレールにこだわらず、「人にできないことをしたい」と生き方を模索してきた。生きづらさを抱え、苦悩する若者たち―。真一の姿は、普段接する一人一人と重なった。
 「両親を殺して『自分はここに存在する』と叫んでいるようだった。そうするほかに、暗闇から抜け出す方法はなかったんじゃないか」。犯した罪は許されないが、本人が望むなら、少しでも早く新しい道を歩ませてあげたい。閉廷後、山田は減刑を求める嘆願書を裁判所に提出したいと、弁護士に申し出た。
 勾留先で真一に面会し、初めて言葉を交わした。
 「大変なところだけど、大丈夫?」
 「ここはいい人ばかりです」
 20年間、自宅から出ることがなかった真一にとって、ようやく触れることができた外の世界だったのだろうか。
 支援者の中には「ひきこもりとはいえ、殺人を認めることはできない」と嘆願書の提出に難色を示す人もいた。だが、苦しみを誰とも共有できなかった一家のことを想像すると、見て見ぬふりはできなかった。大阪や名古屋の家族会を回り、署名を集めた。
 05年4月25日、真一は大阪地裁で懲役16年(求刑同20年)の実刑判決を受けた。その日の新聞は、乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故のニュースで埋め尽くされ、片隅に判決を伝える記事が載っていた。(敬称略)

© 一般社団法人共同通信社