第1部「無縁」(7) 減刑求める嘆願書 「わが家にも…」不安訴え

藤田真一(仮名)の減刑を求め、裁判所に提出された嘆願書

 〈あなたのまわりで、こんな人の話を耳にしたことはありませんか。「もう30歳近いのに、仕事もしないで自宅でぶらぶらしている」〉

 そんな前書きで始まる1冊の本がある。精神科医の斎藤環(さいとう・たまき)(55)が1998年に著した「社会的ひきこもり」。それまで個人の怠けや甘えと捉えられることが多かったひきこもりを、本人、家族、社会の関係性の悪循環で起こると初めて分析し、関係者に大きな衝撃を与えた。
 2000年代に入ると景気の悪化とともに若者の就職が難しくなり、非正規労働者が増加。藤田真一(ふじた・しんいち)(49)=仮名=が両親を殺害した04年には、仕事にも学校にも行かない「ニート」という言葉が広まった。
 事件は、ひきこもりが10年、20年と続けば、家族全体が追い詰められかねないことをあらわにした。同じ境遇の人たちが抱えていた、行き場のない不安が、嘆願書という形で噴出した。
 「先生、私も息子に殺されるんでしょうか」。当時、和歌山大教授だった精神科医の宮西照夫(みやにし・てるお)(68)の元には、事件が報じられると次々に電話がかかってきた。
 80年代からひきこもりの若者たちの治療や支援に携わり、長期化を防ごうと取り組んできただけに、宮西もショックを受けた。「同じような事件が、この先どんどん起きてしまう」と危機感が募った。居ても立ってもいられず、減刑を求める嘆願書につづった。「親を思う気持ちと無力感にさいなまれ、不幸な事件を起こすにいたるのは(中略)、個人の問題として解決できる簡単な状況にはない」
 京都市の山田孝明(やまだ・たかあき)(64)にも、母親らの訴えが相次いだ。「まるで10年後のわが家を見ているよう」。ひきこもりの本人や家族の訪問活動などでも、30代の子どもに関する相談が目立ち始め、高年齢化が進みつつあると実感していた。
 「たとえ我が子に殺められても、我が子が生き続け、再び社会に参加する事を切に望んでいます」。山田は裁判所に提出した嘆願書で、多くの家族の思いをこう代弁した。脳裏にあったのは、かつて支援を通じて出会った、ある母親の言葉だった。「子どもが外に出てくれるなら、命を差し出してもいい」(敬称略)

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